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of Montreal pitchfork review


of Montrealの最新アルバムがかなり評判が良いので、pitchforkでの反応が気になるところですが、どうやらこちらではあまり評価は良くないようですね…

相変わらずpitchforkの文は訳しづらい…


Of Montrealはバンドではない。いや、少なくともここのところはそうではなかった。2004年の6番目のノーカットアルバム、Satanic Panic in the Atticでは、Kein Barnesは大部分の曲をかいて、レコーディングし、自分自身ですべてのアルバムを演奏してのけた。そして、時々外からコラボレーター(Janelle Monaé, Solange Knowles, Jon Brion)を呼んで、華を添えた。Barnesは8年に及ぶ孤高のクリエイティブへと移る決心をして、今や16年近くにわたっているが、それが賢明なのだとわかった。Satanic Panick以来、BarnesはLPをかなりパーソナルな探求の形であると、そこではリスナーのことを考えずに自分のやりたいようにやったのであった。

そのような意味では、of Montrealの最近はParalytic Stalksで、もっと同じものになっている。つまり、Barnesは自分のSunlandic Stucioでストリングスアレンジ/演奏アシスタントであるKishi Bashiとセッションミュージシャンと一緒におしゃべりしながら一人でレコーディングし、そのアルバムはすべてを意味していると述べた。しかし、Barnesと同じぐらい色々な音に挑戦するソングライターでさえも、今回は何か違うと感じるだろう。彼はいつも、コンセプトというのを好んだが、Paralytic Stalksではそういったものがなく、完全に目標を失っているように聞こえる。まるで、彼の何千ものシナプスが一度に枯死し、最終的には一つの巨大な溶解物に近づいているかのように。

私が前回の秋にBarnesとParalytic Stalks製作にあたって、何の影響を受けたのかについて話した時、彼はCharles IvesやKrzysztof Pendereckiのような20世紀の難解な作曲家を挙げて、急に引き返して「カラフルなポップコードだ」と評する前に、多くのリスナーが買ってくれることは期待できないだろうと予測した。明らかにそれはElephant 8 daysプロジェクトの最終作品以来、もっとも不完全なアルバムであり、小さく一緒に縫い付けられた部分がSkeletal Lampingをかなり挑戦的で論争を呼ぶような作品にしたことを踏まえて、多くを物語っている。私には、その作品が楽しげに、終わりのない散らかった可能性をごた混ぜにしたように聞こえた。

Paralytic Stalksのパッチワークの中でその縫い目(とぎれ)はYe, Renew the Plaintiddの真ん中でやってきて、それがアルバムの二分を描いている。最初の半分はBarnesのこの8年間磨きをかけてきた強さを表している。破裂する間際まで詰め込められたプロダクションや絶えず方向転換するメロディー、そして抑えられないボーカルパフォーマンスだ。印象的な旋律がただそこにあるだけではなく、Barnesのもっとも難解なレコードが重大な譲歩をしていることを考えてしまうと(Skeletal Lampingの"An Eluardian Instance",やFalse Priestの"Our Riotous Defects")、それが問題なのだ。まだ可能性があるMalefic Doweryをのぞけば、その曲は驚くほど急いでいて、ここでは障害になっている。

「20世紀の古典音楽の影響」はアルバムの残り半分でおとずれる。その曲は長々と演奏され、不協和音的なドローンや、キーキー言うノイズで満ちている。Exorcismic Breeding Knifeでは、オーケストラルな不協和音がわき寄せてくる。これは挑戦的だが、Barnesが去年のthecontrollersphere EPでいちゃついていたぼんやりした感じの縁戚のようでもある。Barnesは全面的にやったりはしないが、むしろ少しサイケデリックな、ぎくしゃくしたシンセファンク、そしてWintered DebutsやAuthentic Pyrrhic Remissionに乗せられた静かなピアノバラードでさらっと覆っている。そしてこれらはすべて完全に荒廃した形がなく、ぼんやりとした環境が与えられたもののように感じられる。

Paralytic Stalksで一番がっかりなのは音楽の背後にある個性が欠けていることだ。Barnesはソングライティングを個人的なセラピーセッション、レコーディングスタジオを天井が鏡になっている、精神科のカウチだとしてきた。2007年の素晴らしいHissing Fauna, Are You the Destroyer?では、不信心や落胆、そして自己破壊の中心にある超自我と対決した。次の年のSkeletal Lampingは彼自身に関することをかなり取り込んだため、第二の自我や、グラミー賞を取ったセクシーなGeorgie Fruitを手に入れることが必要だった。

「パーソナル」や「ダーク」といいた言葉はParalyticのプロモーションの前段階で引用されていたが、歌詞カードなしでは、Barnesがすべてについて歌っているのか判断するのはほぼ不可能だ。驚くほど直球で分かりやすいMalefic Doweryは不信心という話題に戻っている曲をのぞけば。これがBarnesにとってパーソナルなアルバムであることは疑わないが、Hissing Faunaにおいてはそれが明白だ—とりあえず君たちは聴くべきだった。ここでは私たちは「True love never mattered/ The two donkey jaws that were removed from our hearing.本当の愛は絶対に問題にはならない/二匹のロバは私たちが聴けないところでおしゃべりしている」という歌詞から解決せざるをえない。

Barnesが疲れ切ってしまったせいにするのは難しい。1997年のデビュープロジェクトであるCherry Peel以来of Montrealは年中何か新しいものを発表してきた。今まで彼はSteven Soderberghと同類であり、Stevenは自分の思いに従おう狩られてきたため、たとえ疲れてでも、引退しようという考えは、仕事をしようという彼をはねつけてきただけだった。まったく楽しめないParalytic StalksはBarnesは少し休みをとってインスピレーションがわくようにすべきだというしるしかもしれない。

ソースはこちら。of Montreal

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