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Lana Del Rey; Born to Die (5.5/10)


PitchforkのLana Del Rayについての記事を翻訳しました。リクエストありがとうございます。


まだまだ翻訳が下手で、間違っている点もあると思います。もし間違いなどございましたら、お気軽に指摘してくださいませ。

実現した夢に何が起きるのだろうか。もっとはっきり言えば、実現したアメリカンドリームが指にマニキュアをしてGatsbyのJames Deanにプールでキスしているスナップで金持ちになって、ラジオでも曲がかけられたのに、ボロボロになってしまったのだ。これはLana Del ReyのBorn To Dieを勇気づけるのには中心的な問題だ。私たちのヒロインはすべての愛とダイアモンドと、求めるだけのDiet Mountain Dew(アメリカのダイエットドリンク)を手にしていたが、まだ「死ねたら良いのに」などと歌って、全く楽しむこと等できないように聞こえる。リズフェアーに言わせれば、もし望むものすべてを手に入れて、それでもなお幸せでないなら問題は自分にあると悟るのだ、と。
ハイプ(過剰宣伝された人)の波に乗せられ、ここ六か月以上にわたる反発を得ていては、私たちがここにいるのを忘れてしまうのは簡単だろうし、最初から主にそれは彼女の歌のせいであるのだ。

Elizabeth “Lizzy” Grantとして生まれたシンガーは荒いホームメイドビデオで成功したかもしれないが、私を圧倒させたのは他のインディー界隈のにある荒いビデオだった。だが、素晴らしい音と「レディオ」の多感な点なのだ。Born to Dieが簡単にその目的を述べており(どうかわたしを愛して、なぜなら今わたしはラジオで流れてるから、今は私のことどう思う?)、大予算がかかったチャートポップの域でしっかりと位置づいている。Born to DieはEmile Haynieによってプロデュースされ、クレジットではEminemやLil Wayne, Kid Cudi、そしてアルバムの印象的で豪勢な雰囲気は中傷する人たちや弁論者を結びつけるものになるかもしれない。

そのアルバムはどの響きからもにじみ出ているテーマを思い起こさせる。セックスやドラッグ、デルレイの息遣いが聞こえるボーカルにまとわるあくびな雰囲気に潜むきらきらと宙を舞うものだ。そこにはストリングスとトリップホップビーツがあり、少し1950年代の鼻にかかったような歌声、そしてメロディー、プロの殺し屋のようなMike Daly(Plain White Ts, Whiskeytown)や、Rick Nowels(Beind CarlisleのHeaven Is a Place on Earth)ソングライターを集めて説得力あるように作られた。しかしそのアルバムでは気まぐれなラジオの視聴者に向けで、そのポップを表彰するものの多くは陳腐でふさわしくない。Million Dollar Manにおいて、Del Rayはひどく薬品を投与されたFiona Appleのように描き、Off to Racesはくだけた、絢爛に輝くものを目指しているが、このシンガーはそれをやってのけるだけの個性を持ち合わせていないのだ。

そのアルバムの見方---もしそれをそんなふうに呼べるのであれば、ぎこちなく、そして時代遅れだと感じるだろう。「お金が私たちが存在する理由/みんなそれが真実だと分かっている/キス、キス」などの歌詞を控えめに取り上げるかどうかは君たちしだいだが、パリスヒルトンのハンドバックで暮らしているチワワにジャブをくらわすようなものだとしても、たどたどしくて的外れのように感じられる(たとえばLily Allenのうわべだけでつまらないものやとは違い、悪賢くて隙がない2008年のシングルThe Fear)。だが、目は金目当てであるやつらはBorn to Die に元々抗議の声を上げているのだ。国際的デビューが危機を迎えており、また占有の動きがあるなかでも、Watch The Throne(Jay ZとKanyeのコラボ作品)が順位を落とさないようにするのは大変であった。しかしそれはJayとKanyeが現実逃避の空想サウンドをかなり楽しげなものに作り上げたからである。Del Reyの二つが結合して凝り固まった夢の世界は、一方で、クリシェ(使い古された言い回し)に(ああ神様、あなたってなんてハンサムなの/ わたしをハンプトンズに連れて行って)頼り切っており、むしろ特定の何かを思い起こさせる。それは現実を求めたがらせるような空想の世界なのだ。

そして空想といえば、Lana Del Reyを取り囲む非言語的交流には、BGM付きのかなり憂鬱な真実があり、それは音楽に存在する性差別のことについてなのである。彼女はある種の熱烈に吟味されることを仮定していた---彼女の過去や、とくにその見た目についてである。---これは一般的に女性にだけ用意されているのだ。しかし、Born to Dieの性的な政策というのもまた問題である。Del Reyが自分の内面性を表していたり、もしくは彼女自身を男性が欲する、アイスクリームコーンをなめている対象よりももっと複雑な何かだと形づけている曲を見つけるのは大変だろう。(Blue Jeansの一詞、私は時の終わりまであなたのことを愛するわ/ 私は何憶年も待つつもり、などはアルバムの歌詞の内容65パーセントほどをまとめている)

Del Reyが何か批判的だと読み取れる何かを提示するときでも(これが私たちを女子に仕立て上げているのよ/ 私たちは協力し合ったりなんかしない、なぜなら自分の愛を優先するから)、彼女は私たちが変わろうと、逃れようと、もしくは物事の在り方を超えようと努力してないと問いかける(そのことで泣かないで/ 泣かないで)。アメリカンサイズの壮大さや、そして空っぽの夢にとらわれている点からみると、Born to DieはDel Ray自身の美しさや暗さ、ねじれた空想を提示しようとしているが、そこには輝きや議論されるべきものは何もない。

批評家のEllen WillisはかつてBette Midlerについてこう書いた: 「ずうずうしいペテンは、ある場所では指すように正直であることができる、そして彼女はイメージと私たちみんな—だが特に女性—が経験する内面性の間の緊迫状態を説明している。」だがBorn to Dieは決して緊迫状態や混ざり合った複雑さを認めないし、女性の性を取り上げて完全に退屈なものに感じられるだけで終始してしまっている。愛や献身を表す優しいささやきにおいて、そのアルバムは偽のオーガズムと同等なのだ---何の熱情もないトーチソング(失恋ソング)の集まりのように

ソースはこちら。Lana Del Ray

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