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ザ・ディスカバリー 感想(ネタバレあります)

ザ・ディスカバリー



あらすじ

死後の世界があることが証明された世界。現実世界に絶望し、死後の世界に救いを求める自殺者は後を絶たない。映画はそんなダークで陰鬱な雰囲気に包まれている。
主人公で神経医のウィルはある日島に向かう船の中で、魅力的な女性アイラに出会う。だが、アイラはウィルに全く興味がないようで、素っ気なくされ、結局船を降りた後でヒッチハイクした彼女とウィルは途中で別れてしまう。
ウィルは父親が、死後の世界を証明してみせた科学者ハーバー博士で、父親に会うために島に来たのだった。だが、アイラが海で投身自殺をしようとしているのを偶然見つけ、ウィルは思わず助ける。そこから交流が始まった2人は、ある施設で父の研究に協力しながら、徐々に仲を深めていくが…

※この先は観た人向けです、一応。

死後の世界が発見された世界。特に宗教的発言をするつもりはないが、あんまりそういつ話は信じていない。想像もつかない。

意識とは物質の別の状態なのだ、と唱えるハーバー博士の話を聞いて思い出したのは、(多分)わたしの世代の女性はみんな読んで通っていそうな梨木香歩さんの小説”西の魔女が死んだ”だ。


彼によるとひとの人生には始まりと終わりがあるように見えるが、それはただの中間地点なのだと。

まあ私的にそういう話は信じないが、この映画にすごく惹かれたのは、ちょっとありそうな話だと思ったからだ。

そして、このループという話、とてもインセプションぽいなと思っていたら監督はクリストファーノーランに影響されて作った映画だそうだ。ビンゴ。笑



インセプションは死後の世界というよりは、夢の中の話で、主人公たちは夢の中夢へどんどん段階を進めていき、夢で自殺すると一個上階層の夢に戻れるという話だった。こちらはその逆だが。自殺すると意識が特定の記憶にあった、違う世界に行く。主人公は失敗する度に自殺を繰り返している。


そして、アイラが殺された時、ウィルはまた死のうとするのだが、そこで見たのは記憶だった。自殺して特定のループに行くと、その人間はその前の人生を覚えていないが、ここでウィルは覚えていた。それは意識の中に残った記憶だったからだ。そして、ここではまだ死んでいなかったウィルは父親と弟の手によって、蘇生する。

ここでこの映画で描かれている、主人公が体験した3つの次元を整理してみる。

A:初めてアイラと出会う。フェリーから降りず、父親には会いに行かなかった。そしてアイラは自殺する。

B(Aで自殺して辿り着いた世界):アイラとウィルは結ばれ、アイラは生きたいと願うようになり、救われる。殺されてしまうが。ウィルはここでアイラを救うという目的を果たした為、このループとは違う場所へ行くことになる。それがCだ。

C:また別の次元。おそらくBと並行するのだろう。ウィルは海岸で海を見ていると、小さな子が海でひとり遊んでいるのを見つける。危うく溺れそうになったのを見て、ウィルが助けると、そこへアイラが現れた。最初は気がつかないウィルだが、アイラが去った後で、彼女に気付く。そして、きっとアイラは自殺しないだろう。


映画の中でウィルが話す言葉はひとつひとつがとても興味深い。
まあ会って早々にアイラがウィルの名前を聞いて、”意思(will)に満ちてそうな名前ね”というのも面白かった。アイラを救うのに失敗する度に自殺するウィルはまさにその救済意思に満ちているというか。

直前にバックトゥーザフューチャーを観ていたのでさらに混乱したのだが、ハーバー博士によると、この死後の医師の世界は現実世界と共存し、違う次元に存在しているのだという。弟がことあるごとに”4次元的に考えろよ”と話すのだが、次元が同時に存在する世界、今度はインターステラーみたいだ。わたしたちは時間や人生を一直線上に一方通行的に考えているが、4次元の世界ではすべてが空間的に存在するのだと。

自殺するな、というのはまあ明らかすぎるテーマなのかもしれないけれど、後悔して自殺したところで、自殺した先の次元で誰かが救われるというわけでもない。もしくは新たな自殺を生むだけだ。

ただ、アイラがいう、自殺するひとの話も分かってしまう。自分が今いる場所は自分よりふさわしい誰かがいて、自分はそれを横取っているように感じる、とか。
辛い時とかは、難民や飢餓で死んでしまう子供達の方が私より生きる権利があるんぎゃないだろうか、なんてよく思ったりしていた。

仕事が辛いせいで結構人生の苦さをかみしめていたけど、人生の色々なことに意味や目的なんかないんだと思えば、むしろ気は楽になるかもしれない。ただあることをそのままの事実として認識して、どう駒を進めるべきなのかを考えて行動するだけ。

人生はある部分だけ見れば悲劇だが、全体で見れば喜劇だ、といったのは誰だったろうか。

その部分だけに焦点を当てて感情を与えてはいけないのだ。辛くなるだけだから。

でもだからこそなのか、というか、インターステラーでブランドン博士が死ぬ間際に言うディラン・トーマスの詩を思い出した。

穏やかにあの素晴らしい夜へ旅立ってはならない
老人は燃え尽き、そして死の間際で荒れ狂うのがいい
怒れ、怒れ、消えゆく灯りに向かって
賢い人間なら死の間際に闇がふさわしいと分かるだろう
なぜならその言葉は稲妻を割ることはなかったのだから
彼らは大人しくあの素晴らしい夜へいったりはしない

善き人間たちは最後の波の側で、自分たちの脆い行いが煌々と緑の浜辺で踊っているのをみて泣いている
怒れ、怒れ、消えゆく灯りに向かって

野生的な人間たちは、空に浮かぶ太陽を捕まえて歌った、そして気が付いた、しかしもう遅すぎた、その途中で嘆き悲しんだのだ
怒れ、怒れ、消えゆく灯りに向かって
真面目なひとたちは死の間際にあって、そのかすかな視力でものを見る
その目も彗星の如く明るく輝き、にさえなるのだ
怒れ、怒れ、消えゆく灯りに向かって

そしてあなた、私の父よ、その悲しみの絶頂で、
呪い、祝福してくれ、その強き涙で、わたしはただ祈ろう
怒れ、怒れ、消えゆく灯りに向かって

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