Beck / Song Reader Interview with Pitchfork
Beckが去年衝撃的な新譜を出したのは有名ですが、なんと彼がリリースしたのはレコーディングされたアルバムではなく、「楽譜本」。それも普通の楽譜本ではないですよ、カラフルで絵がたっぷり挿入された彼のアート作品そのものです。アルバムじゃなくてもBeckのアーティスト性というものがひしひしと伝わってきます。
さて、Pitchforkとのインタビューですが、最新の楽譜本の真相から最近の音楽事情までとても興味深いことを語ってくれています。
翻訳するにも量がすごかったので、ちょっと苦労しました(笑)...一人称とか語尾の感じもBeckってどんな話し方だっけとか思いつつ試行錯誤したので、またちょっと思い立ったら直すかもしれないですがご容赦を。
"There's something very human about
learning to play a song--
it's like the song becomes a part of
you."
「曲を演奏する方法を学ぶことには何かしら人間的なものがそこに存在するんだ--曲が自分の一部になるみたいにさ」
Beckが去年衝撃的な新譜を出したのは有名ですが、なんと彼がリリースしたのはレコーディングされたアルバムではなく、「楽譜本」。それも普通の楽譜本ではないですよ、カラフルで絵がたっぷり挿入された彼のアート作品そのものです。アルバムじゃなくてもBeckのアーティスト性というものがひしひしと伝わってきます。
さて、Pitchforkとのインタビューですが、最新の楽譜本の真相から最近の音楽事情までとても興味深いことを語ってくれています。
翻訳するにも量がすごかったので、ちょっと苦労しました(笑)...一人称とか語尾の感じもBeckってどんな話し方だっけとか思いつつ試行錯誤したので、またちょっと思い立ったら直すかもしれないですがご容赦を。
8年をかけて、Beckの新しいアルバムSong Readerは20の新曲を取り上げた—楽譜でのみでの発表である。「この本は僕が今までに作ってきたレコードの中でもかなり挑戦的なものになっているんだ。」とそのシンガーは言う、ロサンゼルスにある彼のスタジオから電話でインタビュー中だ。「それにすごく時間をかけたし、これを完成させるのにはかなりの労力が必要だった、これをアルバムとしてレコーディングするよりもね。」今までどおり行けばレコードになるはずだったものを切り上げて、単純に楽譜に落とし込むのではなく、Song ReaderではBeckは19世紀後期の雰囲気と20世紀初頭のポップ精神を掴もうとしたのである。つまりは楽譜が広く普及し始めた頃の精神である。Beckはそれから、もし新曲を聞きたいのであれば、自分で演奏してみないとわからないように、もしくは演奏できる他人を探さなければならないようにした。
このために、曲群はダンスナンバー(「あいつらは僕がフォックストロット<踊りの名称>を踊れたなんて信じないだろう」)から、戦時の心引くナンバー(「アメリカよ、これが私のむすこたちだ」)、イタズラなラブソング(「どうして私にかまうの」)まで幅広くした。Beckは自分の抽象的になりやすい癖を抑え、歌詞もより全世界で共有できるテーマを目指したが、彼の実証済みのBeckらしさはちゃんとはっきりしている。例えば最初の部分では、「今や君のドル札には羽が生えてしまった」とあり、サビでは「町に来た時は山ほどのダイヤモンドを持ってきたのに、今じゃホコリを乗せた手押し車でこの街を去ろうとしている。I.O.Uとまぶたに文字を引いて。」さらにそれぞれの曲にはオリジナルのアートワークと、遊び心が入った広告が入っていたりして、例えばそのひとつに野心あふれる新曲をからかったりするものもある。「竜巻を止められないのと同じでもうやめられない」こんな自信たっぷりの宣伝文句はこの曲で読める、「君は暗闇の中でなら万事okに見える」
しかし、つまらないタイムカプセルを与えたり、ひとかけの昔振り返るノスタルジーを与えるよりは、Beckはこのプロジェクトでもっと高い目標を掲げることにした。「友達にもこれをひねくれた文に凝りすぎてるとか、巧妙な文のからくりだとか言って見落とすやつがいると思うんだけど、」とBeckは本の序章でこう書いている「でも曲はほかのもっとたくさんのノイズと競って、今やより多くの注目集めるためにはどうにだって誇張することができるんだよ。だから曲というのは一体何をすべきなのかという問題や、どうやってその目的が変わってきたのかっていう問題は、問いかける価値があると思うんだ。」
Beckは同時に同じ疑問を最近レコーディングを終えた自分の作品にも問いかけている。プロデュースや、いろいろなちょっとした仕事、さらに最近のカバーはやっていても、4年と半年はオリジナルアルバムをリリースしていないのだ。だが、彼はそこに行き着く。「僕はここ数年いろいろなレコーディング装置を試してきたんだけど、かなり時間の無駄だった。」と彼は話す。「でも自分でもこれをやる必要があると感じていたんだ--次のことに移ろうとした時に、何かしら違う質のものを作る助けにはなるだろうからね」
"There's something very human about
learning to play a song--
it's like the song becomes a part of
you."
「曲を演奏する方法を学ぶことには何かしら人間的なものがそこに存在するんだ--曲が自分の一部になるみたいにさ」
Pitchfork(以下P): Song Readerを通して、私自身あなたのこれまで発表されている経歴に興味を持ったのですが、いつ楽譜の読み方を学んだのですか。
Beck (以下B): 僕は子供の時、フォークとかブルースにはまっていて楽譜を持て余していたんだ。そういう曲ってレコードでは手に入らなかったから、図書館とかで本を見つけてきたんだよ。だからちょっとは読めるんだけど、でもそういうのは実は一度も使ったことがないんだ。音楽学校で音楽を勉強するなんて、僕には息が詰まるだろうし、そんなことができる人は本当に尊敬するよ。それに決して僕は音楽を記録したり音楽論を書いたりすることのエキスパートでもないし--そういうのは僕のいる世界じゃない。僕はただ自分が持ってるのをどうにかするだけさ。でも僕は数年来ずっと途切れ途切れに考えていたんだけど、自分は50年代から60年代の終わりにかけてがすごく興味のある年代なんだってね。曲が書かれた時に人々がやってきて、その前で2時間か3時間それを全て通して演奏するんだよ。音楽が全てだった時代で、たとえレコーディングスタジオで試す前に注目されていたんだ。
P: この本についてはそもそもどうやって構想を思いついたのですか。
B: アイディアは自分が初めてレコードを出した時からあったよ。Melow GoldとかOdelayとかの時だね。関係者が譜面バージョンの方も送ってくれたんだけど、僕にはさっぱりだった。譜面にはピアノとか、いろんなギタースケールとか、フィードバックとか、僕がディストーションペダルを通して叫んでるところとか、ほかにも楽器やらシンセが演奏に入ってなくても、ともかくすべてのスケールに入れてあったんだ。かなりでたらめだったし、もうめちゃめちゃだった。「こんな楽譜を出して、これを買おうとしてる人がここに載ってる曲を弾いてなんとかそれっぽく演奏しようとするなんて見ていられない。」って思ったんだ。それでその時思ったのが、「もし僕が譜面を暗記しているような人向けに楽譜を書いたらどうだろう」っていうことなんだ。これはまた違った種類の作曲だよね、楽譜を見た人は自分はどう違うやり方で演奏しようかって考えるんだ。レコーディングでは、何か音を作り出そうとするだろ、それにあったギターでまたそれに合う歪みを作り出そうとしたりするけど、音楽的に素晴らしいというものがサウンドもかっこいいかっていうとそうでもなかったりする。紙面上では逆に、そういったものは削ぎ落とされる。音楽的なアイディアが勝つってわけ。
P: しかし、他方では譜面が白黒なことや、技術的な練習や、あなたのこの作品で試した方法について考える人もいるでしょう。以前の楽譜に耳を傾けると、そちらはかなり個性が出ていると思います。書かれているものはまだポップな要素がありますよね。そういった見方はあなたにとってどのぐらい重要なのでしょうか。
B: そうだな、これは僕が最初思い描いていたのとは全く正反対なんだ。僕が考えていたのは、本当にシンプルな方法で曲を楽譜に落とし込むことだったし、その時点ではあれやこれやと色をつけてみたりもしていなかった、曲についてどう思うべきだとか感じるべきだなんて言いふらしたりもしていなかったよ。でも、世界の楽譜について調べ始めると、特に1880年代から1930年代にかけて、なんて恵まれた、奇妙な世界なんだろうってわかったんだ。社会は本当にたくさんの人々に形成されているかってわかったし、しかもこういった多様性は戦後時代には完全に消去されてしまっているんだ。ロックンロールの時代の後でね。つまり、いろいろな物事が廃れてしまった。だから、そこに立ち返って、今の時代のものと噛み合わせるのはすごく面白いだろうなって考えたんだ。
曲を極力シンプルに、全体的に優れたものにするという元のアイディアは楽譜本ほど魅力的な考えではなかったし、まあほとんどの人はこれを演奏しないだろうってわかってた:でも本だったら見るだろうって思ったんだ。だから曲は長い時間をかけてあっちへ行ったりこっちへ行ったりを繰り返してた。もし人にこれをどうやってやればいいのか聞きに行けば、聞かれた人はそれに対してちゃんと演奏できなきゃいけないだろうとも感じた。だからちょっと作業を一休みして、考えたんだ、「僕ならこれを誰に演奏してくれるように頼むだろうか」って。曲を完璧にマスターするには何十年もかかるだろうから、人に頼んで演奏してみてくれと頼めれば十分だろうって思ったんだ。だから本は古い楽譜からいろいろなアイディアを引っ張ってきて、最終的にはもっとユーモラスで茶目っ気があるものにしたかった、さらにはそれでもってバランスが取れたものになればいいなって。ひたすらユーモラスなものにすることに全力を傾けるのではなくてね。
P: 歌詞は、しばらくあなたが書き溜めてきた中でもかなり直接的なものですね。この作品のために作曲スタイルを変えるためにも今までのやり方からは脱したのですか。
B: 曲を書き始めた時に気がついたんだけど、ただ自分のレコードのひとつのために曲を書いて、それを楽譜にするんじゃ全体的にも制限されたものになってしまうと思ったんだよ。それなら何かを変えなければならない、だからこういったアメリカ的な楽譜本にあるような、永続的に共有されるような何かについて考え始めたんだ、ステファン・フォースターに始まり、今有名なものならなんでも。よく出てくるような曲には何かあるものだし、それがいつ書かれようとも何かを生み出し続ける曲というものがある。時代は違えども、人々は曲に違う意味を分け与えることができるし、それが自分の意識の一部になったりもするんだ。
だから僕はみんながキャンプファイアーとか結婚式、学校のダンスとかで耳にする曲から考え始めた。「もし誰かにそういう曲を演奏するように頼めば、みんなあたかもそういうところにいる気分になるだろう」と思った。そういう曲を見れば-それがハンクウィリアムズの「君の手を握り締めたい」でも「君しか見えない」でも「ラブシックブルース」でもいいんだけど--そういう曲は皆直接的で、シンプルだ。ほかの作曲家となると、そんな気にはならないし、気のりしないだろう。でも僕はそういったシンプルさを念頭に置いてこういうメジャーな曲を書こうとしたんだ。
P: この曲群の中で一番最初の曲ができたのはいつでしたか。
B: 多分十年前かな、それに取り掛かり始めたのは2004年だった。ビング・クロスビーの本で読んだんだけど、彼には一曲ヒットした曲があって、それがかなり有名になり、楽譜では5400万部も売り上げたんだ。それでその曲が出てきたときは確か国の人口は12000万人だったから、街で歩いてる2人に一人はその曲の楽譜を持ってることになる。それで家族は夕食を終えたあと居間でその曲を演奏するんだ。一つの曲が爆発的な人気集中を集めたっていう出来事にはかなり感銘を受けたよ。
P: ビング・クロスビーの楽譜を買うような人たちはYoutubeで曲をカバーする人たちとは違うと思います?
B: 変わらないと思うよ。でも楽譜の世界はちょっと特別なんだ。もし古い楽譜を見てみれば、ありとあらゆる種類のテキストがのってるんだよ。広告もあるし、珠玉の曲群が成功したという事実が公式に書かれているし、アートワークもある。つまりそこには指で感じられるような、曲を学ぶ体験と、それが楽譜に書き起こされた方法とがあるんだ。でも、レコードから曲を習得しようとするのはまた別なんだよ、レコードの演奏に影響されてしまうからさ。
それがこのプロジェクトのひとつの鍵なんだ。つまりもし僕がこの曲群を録音してリリースしたら、そこから作りあげてしまうであろうイメージがこんなふうに必ず存在してしまうんだ。そこに曲がある限り、人は楽譜を買えば15の違うバージョンの音楽がそこにはある。ポルカだったりジャズだったり、ディクシーランド、スウィング、クルーナーだったりね。かなり流動的だった。それに誰か演奏してくれる人を探すか、自分で曲を習得しようとすれば、レコードを聞くのとは違う方法で曲が自分の一部になる。60年代行こう、録音されたん学というのは曲そのものより存在が大きくなってしまったし、曲そのものは無関係というような風潮になり、また個性やサウンド、スタイルを表現するための手段みたいになってしまった。曲の中にはレコーディングとは切り離せないものも存在するんだよ。
それに僕らは今や曲と違う関係を持つようになった。ミュージシャンたちが考えるのはこうだ。曲はただの空気みたいになってしまうのだろうか。MP3になったら一回聞いただけでゴミになってしまうのだろうか。これが今の音楽の運命だ。僕は成長する過程でたくさんの音楽と多くの時間を過ごしたし、そのあとしばらく経つともっと好きになって、理解するようになった。こういう感情は、曲を習得すようとすれば大きくなるものだよ、ここにはもっと人間的なものがあるんだ。曲が自分の一部になるみたいにね。
P: このSong Readerの曲は今後のライブで演奏するつもりはありますか。
B: 多分何曲かはやると思うよ。ライブでやったらどうなるかにもよるな。でも最初に自分たちで試してみてもらいたいし、それでみんながどういうのを思いついたのか見てみたい、まったく何もないところからどうやって作っていくかをね。実際すごく大変だったよ、ピアノアレンジなんかを入れる時とかはさ。「どうやったらやりすぎないようにある一定の方向に向かって曲をアレンジできるだろう」ってさ。そのためにはちょっと演奏してみないとわからないし、もしジャズ的な要素とか70年代のポップな要素があれば、その曲はよくある特定のところからは外してくるだろうね。僕はみんなが曲のまっさらな骨組みだけをもってそれを自分な好きなようにしてくれたらそれで良いんだ。もし何もアレンジとかをしないのであれば、それが面白いやり方なんだと考えてみればいい。[このプロジェクトの公式ホームページ(こちら)では、ほかの人のアレンジした曲や自分が録音したものをアップロードすることができます。]
P: 最近は曲がすぐに捨てられてしまうということをお話していましたが、それであなたが最近やったフィリップのリミックスを思い浮かべました、あの20分もある曲です。相当時間がかかったろうと察しますが、私たちの最近のMP3文化には全く自然となじまないですよね。
B: 個人的にMP3のサウンドが縛りがないところを見つけたんだ、やりすぎると音変換の間で失われてしまうからさ。何年もの間、MP3における情報を少なくすると、本当に検知不可能になってしまうだろうって言われていた。でもそれをCDと比べたとき、MP3はもっとひどく聞こえる。もし選べるのであれば、僕は常にCDで手に入れようとしてるよ。それに、明らかにヴァイナルの音はそれよりずっと良いんだ。未だに僕はレコーディングとかミックスをテープに録音するし、そうするとちょっと違ってくると思う。だけど、MP3にすべてが縮小されてしまう頃には、全てのニュアンスといったようなものを削り取ってしまうような感じだよ。一番最初に捨てられるのは空気感だね、楽器とかミュージシャンがそれをレコーディングしたときの部屋の感じとかそういうもの—そういう曲において一見悪そうに思えるところが一番つかみやすい情報なんだよ。
The Bridge School Benefitで去年演奏したときは、バックステージでニールヤングがその時取り組んでいた曲をオーディオフォーマットに録音しながら演奏してた。僕はすでにその時違いというものは社会の流れ的にわかってたけど、彼はちょっとしたデモ演奏をしてて、それがかなり衝撃的だった。本来、この15年間ぐらい僕らが聴いてきたものは実際のレコーディングしたものと比べたらトランジッターラジオと同じようなもんさ。みんなはそれに気づいてないんだと思う。僕らはかなりMP3に慣れてしまったし。便利だよね、でも実際これは取引なんだ、その代わり曲との感情的なつながりは持ちにくくなる。理性では感謝するだろうけど、身体的に、感情的にはそうは出来なくなる。
フィリップ・グラスのことについてだけど、800とかそれぐらいの曲が送られてきたんだよ。「君がリミックスしたいのを好きに選んで」とかいってさ。彼の音楽はすべての時代の音楽を網羅しているんだ、シンセサイザーの時代、チェンバー音楽の時代、シンフォニック音楽の時代、楽譜やバレーの時代までね。だけど、誰かが作ったその幅広い作品を聞いていると、こういう全体的な視野で音楽を見れるようになる。その後で、より大きなパターンに気づくことができるようになることから始まるんだ—こういうスケールの大きな音楽の曲を作ろうとしているんだよ。クラシックの時代のものならもっとわかりやすいな、クラシックの作曲家たちはある一定の動きとかリズムを持っていてそれをこういった音楽にまとめあげているからさ。それが僕がリミックスで探求したかった事なんだ。つまり全く異なる時代の音楽から違ったアイディアをもらってきて、それぞれがどう調和していくか見て、それからひとつにまとめ上げるんだよ。
P: 来年のご予定は?まだほかのアーティストのレコードをプロデュースする予定でしょうか。
B: そうだなあ、自分の携帯が鳴るのをしばらく待ってたんだけど、鳴らなかったんだよね。(笑)今アーティストも誰かプロデューサーに巡り合おうとか、もしくは自分でやろうっていう時代だからさ。ひょっとすれば変な時代だよね、でも僕は楽しんでるけど。実際楽しかったし[ほかのアーティストのプロデューサーをするのは]—やることがいっぱいあったけど、やる価値はあった、それに僕は誰かと共同で作業するのが好きだしね。
でも、この数ヶ月はかなり前にほっぽってしまってた曲をちゃんと完成させようとしてたんだ。この数年で気づいたんだけど、時々僕は一つの曲に対して4か5ぐらいのアイディアは思いつくんだよね、実際採用するアレンジはひとつなんだけど、ただそれ以外はしっくりこないっていうだけでさ—それでたまに君らだって必要としてるのは、ちゃんとしっくりくる曲だろ、あっちこっちにいったやつじゃなくて。10分とか20分ある延長バージョンも試してみたんだけど、そうしたらまた違うほかの感じがする曲にすることができた。これって家を立てて、全部の部屋のドアを開けっ放しにするみたいな感じだね。どう考えてもほかのドアよりも面白そうな部屋があるだろ、でもそれってサウンドのアイディアを探させるためなんだけどね。
P:そのPhilip Glassのリミックスは同じようなプロセスを経たようですね。
B: そのプロセスを試したのは一年前なんだけど、自分の曲を手がけているときに思いついたんだ。だから長いバージョンの曲をリリースして、それをさっき説明したみたいにいろいろな方向に向かわせようと思ったんだ、オリジナルのをほのめかすようだけど、あまり調べてる時間がなくてさ。90年代野硬派には、Fela [Kuti]にかなりハマってたんだけど、そういった類のレコードは30分ぐらいなんだ—それから自分が音楽でやりたいことを全て試すぐらいの限りない時間をもてたら面白いだろうなって思ってたんだ、それから構造に縛られないものとかさ、70年代の始めにMiles Davisが録音したような自由がたくさんあったら面白いだろうなって。自分でいろいろな音楽のアイディアを繰り返せるっていうのは素晴らしいと思う。確かにそうなるとみんながみんなそういうのを聞きたがるわけではなくなるんだけど、それどもそういうやり方はあって然るべきだよ。
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