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The Double

存在の気持ち悪さ、そんな言葉が出てきそうな映画だった。


*ネタバレあります


この映画がアエイヨワの下敷きにしたドストエフスキーの分身とどれほど繋がりがあるかはさて置いて、この映画を観ると私たちの人間としての自意識や存在価値といった意識の存在に改めて気付かされる。


特にアエイヨワはそれが悪いだとか批判をするわけではない。ただ60年代に描かれた未来のようなSFちっくな舞台では、ジェシーアイゼンバーグ演じるSimon Jamesを取り巻く環境ではことさら人間性や人間の存在価値が異様に浮き立っている。

映画の雰囲気はアエイヨワ監督が語る通りかなりリンチやクローネンバーグ的なグロテスクな、SF、ファンタジックなのだが、英国的シニカルさを持っていて、それがこの映画にさらなる気持ち悪さを助長している。



セットは60sに撮影された20年後の未来といったような感じで、キューブリックの世界が詰まったような宇宙もの番組が始終放送されていたり、主人公Jamesの職場で情報系の会社で使われるパソコンのようなものは60sぐらいに予測されたようなスーパーコンピュータちっくだ。



そしてこの映画は終始気味が悪い。

例えばジェシーアイゼンバーグが一人二役演じるSimon JamesとJames Simonが並んで駅のホームへ向かうシーンや、望遠鏡で意中の相手を覗いたところに現れる不思議な黒ずくめの男が手を振るシーン。そしてそれはどれもこれもSimonとJamesが重なるシーンである。



この映画は終始人間との存在価値や自意識といったものを感じさせると最初に書いたが、しかしこの映画を観ていて感じるのはSimonとHannah以外の人間には逆にそれが感じられないということだ。

主人公Simonは会社でも影が薄くて要領も悪い残念な男という設定なのだが、毎日薄ら笑いを浮かべて従業員を取りまとめる会社の社長とその家族や、認知症を患う母親、行きつけの店のウェイトレス、会社のセキュリティ係、社長の小生意気な娘、皆一見個性的に見えてむしろ自意識や存在感のない人間のようにすら思える。

冒頭シーンで電車に乗っていたSimonはいきなり謎の男にそこは自分の席だからどけと言われ、しぶしぶ席を譲る。電車の席はどこも空いているのに。だがこうした影のような存在に自分の居場所を取られたSimonにはまるで、私たちは無個性的な影の存在にいつでも取り替えられてしまう恐怖を覚える、




そして突如現れた奇妙なほど見た目はそっくり名前も一緒、なドッペルゲンガーSimon Jamesは顔が同じことを良いように仕事や恋愛面で主人公の立場を奪ってしまう。



元々存在感のない哀れな存在だった主人公だが、彼の出現によってそのぐらついた自分という人間が占めていたスペースはあっという間に奪われてしまう。
ドストエフスキーの分身では、主人公はそれでもある程度の自分という人間をエゴながらも自覚している。しかしジェシーアイゼンバーグ演じる内気なJamesは全く自分という人間さえわかっていないようだ。

僕はいつも自分が幽霊みたいに感じるんだ。ピノキオみたいに、人間ですらないような気がする。
だとか
自分がなりたいタイプの男もわからない。
などなど。

だが自信に満ち溢れて、女性や上司を上手く転がすセリフも心得たSimonは全く正反対だが、その存在価値はまるでSimonの立場を奪うためだけに存在しているかのようだ。
見ているこっちはちょっとタチの悪いコメディ劇を見せられているような感じで、主人公Jamesに相次ぐ不運さを可哀想になんて思うだろう。

なぜこの映画のコンピュータ世界よりも現代の発達したテクノロジーの世界に生きているのにこの映画の雰囲気はまるで無個性の人間が生きる世界だと感じるのかはわからない。が、むしろ自分という人間がわからない、どうなりたいのか分からないというSimonの思考は現代にある悩みであるし、そのSimonの存在を否定するかのように取り巻く環境は単一的で気味が悪く、私たちの過剰すぎる自意識や存在感といったものを逆説的に浮き立たせている。

だが、もしその世界にウンザリしているのかもしれないSimonが最後飛び降り自殺をしてでしかその世界から脱せないのであるなら、これは哀しいことだ。



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