社会に適応するということ。
これは、本当に難しいと思う。
イーニッドとレベッカは世間のダサいものやいわゆる世俗的なものが大嫌いで、冷めた目つきで同級生や周りの大人たちを見ている。
だが、高校を卒業して学生という身分でなくなった時、それは発動する。
社会に適応するということが。
イーニッドとレベッカは最初卒業後も大学には行かず、特に将来何をするかは決めていない。
だが、レベッカは卒業後にすぐカフェで文句を言いながら働き始め、レベッカとふたりで暮らすためのアパート探しを着々と進めて未来に向かっている。
だが、当のイーニッドは特になにもせず新聞の広告欄に載せてあったシーモアという男を呼び出して、影でからかって遊んだり、バイトもやる気がなく一日でクビになるばかりである。
二人の世間を冷たく見る目はたしかに子供心にすごく共感するし、そのひねくれた感じの精神がむしろわかるわかると思ってしまう。
だが、あまりにもイーニッドが社会に対して舐めた姿勢でいるので、それに反してなんとかうまくやっているレベッカとの対比が目立って見える。
どこかで見た表現だが、やっぱりイー二ッドだって、レベッカだって自分が馬鹿にしてきたような人間とそう変わらないのだ。(本人も気がついてはいるが)
結局それに気づいても、レベッカはなんとか出来る術を知っているようだがイーニッドにはそれがわからない。
ラスト、イーニッドに好かれていると思ったシーモアが裏切られてセラピー通いになったり、イーニッドは来るはずのない運行停止のバスに一人乗って街を出て行く。(ベンチにLIFE NOT IN SERVICEと書いてあるところで、イーニッドは自殺したのではとの意見もある模様)
もし選択肢として、
一、イーニッドは別の街に行った。のであったとしても、イーニッドはほかの街でもうまくやっていけるとは思えない。もし世間を舐めたように見る態度が変わらなくて、ただ場所を変えただけなのであれば。
二、イーニッドは自殺した。これはバッドエンド過ぎる感じだが、あまりにもしっくりきすぎるのでなんとなく自分ならこっちを想像してしまう。世間に無視され来ないバスを待っていた頭のおかしいおじいさんがこのバスに先立って乗っていったことを思うと、世間からのけものにされてそこでは生きていけない人たちが行くべき世界なのかもしれない。それが天国か地獄かはさておいて、とにかくそれは現世ではないのだ。
社会は厳しい、と思う。
世の中に繊細な人が増えたのか、それとも昔は繊細だろうが繊細じゃなかろうが社会主義のように皆大体同じ方角へ進んでいったのか、それはわからないが、とにかく一定の規定に入れなければ人生は落第点という烙印を押された時点で今の社会は「ジ・エンド」なように感じる。
もちろん最初から落ちこぼれていて悲しかろうが嬉しかろうがそれが最初から自分の進むべきレールなのだとわかっていれば多少は視線もそこに落ち着くだろうが、今は立ち直れるか、立ち直れないか、その早さで社会では決まるのだ。
もし立ち直るのが早ければ、きっと先を見て未来へすすめるだろう、ただ立ち直れないとなれば、ただそこにとどまるか、それとも諦めて引き返すか、どちらかしかないのだ。今の世界は。
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