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コズモポリス

i want no meaning in this world.

COSMOPOLIS

*ネタバレ含みます


だが、結局この世を、今の時代の病を描く映画はすべて同じであるといっても過言ではないように思える。

金が、テクノロジーが、株が、通貨が、コンピューターが、速さが、自然のルールが、チャートが、対象性が、美が、静けさが、騒音が、混沌が、支配する世の中。

人はもう速すぎる時の単位、速度に、ついていけない。

だが、ついていけないというよりも、ただそれはずっとそこにあり、宇宙が、この世が誕生したときからある、ある種ただの「観念」だ。人間がそれを加速させたのだ。

白い、まるで無垢で純粋で、美しいフォルムのリムジンに乗り、難なく人を動かし、町を移動するエリックは、若くして経済界を手中に入れた美しい男である。

彼は中国の元が下落するだろうと踏んで、大きな賭けに出るが、それもあえなく失敗し、巨万の富を失う。

それまでは予言者、とも呼ばれ数々の経済の動きを読み、巨万の富を築いてきたエリックだが、自分の考えと異なり、まったく先行きが読めない元の動きの翻弄され、焦る。

その焦りは、結婚した美しい妻であり、資産家の娘で作家のエリーズとの新婚生活にも影響する。というよりも、エリックはある意味では、普通でないので、エリーズと愛し合っていても、すれ違いばかりだ。

二人は美しくて、まるでそれこそTwilightのヴァンパイア夫婦を見ているようだが、ある種浮世離れしたエリックと、変わってはいるが普通の人間であるエリーズは、どこか相容れない。

エリックは物語が進むごとに、さまざまな女性と肌を重ね、スーツを脱いでいく。最初はかっちりとスーツにネクタイを決めていた彼が、一人、また一人と寝るたび上着、ネクタイと失くし、最後は車を出たところをパイ男にお見舞いされ、シャツもクリームまみれという有様である。

スーツで決めた隙のない男が、女に、非対称性に、読めない動きに翻弄されるたび、ガードを脱ぎ捨てていく。

最後はボディガードを撃ち殺し、リムジンの運転手とも別れ、一人自分を狙った男の住処にのこのこと入っていく。ありきたりかもしれないが、小汚い路地裏の打ち捨てられたビルの一角に住むこの病んだ元社員は、ある意味もう一人のエリックである。二人の会話はかみ合っているような、かみ合っていないような独白の言い合いっこだ。通貨をパソコン画面で追っていたはずの男の部屋には、捨てられたパソコンが山のように積み上げられる。それはまるで、ヴィジャが「コンピューターなんていう言葉すらもう時代遅れに感じる」というように。

二人の男は、金に、テクノロジーに、ルールに取り付かれ、縋り付いていたのだが、ある日突然見放される。それは運かもしれないし、彼らの運命かもしれない。

だがリムジンの外で、

「もしネズミが通貨になったら」

という映画の最初の言葉をなぞらえるように、資本主義への抵抗運動が行われるなか、エリックは安全な空間の中から外を眺める。それはまるで、ちゃんちゃらおかしい例えではあるが、同時に恐ろしい。

ランチの途中に、そのクーデターを起こしたデモ隊がレストランでねずみをぶち込んでもお構いなしだ。

彼の心は半分死んでいて、状況をわかってはいるけども、反応という人間的行動は起こらない。

彼は怒らないし、笑わないし、驚かないし、泣かない。

クラブで、痛みを忘れようと最新の麻薬を打って踊り狂う若者を上からボディガードと眺めるとき、ボディガードは「若いやつらにそんな忘れたいと思うほどの痛みがあるんだろうか、酒でいいだろう」という。

だが、エリックは逆だ。彼は痛みを感じたいと思うし、死ぬかもしれないという痛みすら味わいたいと願う。痛みは、人間であること、生きていることの象徴だ。その痛みを忘れたいと願う若者は、エリックのような、経済のような無生物に心を半分持っていかれている人間にとっては、真逆だ。

最後、元社員レヴィンと会話をするシーンで、エリックは目の前にたいそうな銃を突きつけられながら、まったくひるまない。その代わり、自分で自分の手のひらを打ち抜く。レヴィンはそれを信じられないという顔で見て、殺したい相手なのに、ナプキンを差し出す。二人は地位や、存在、見た目といった意味では真反対だが、二人は同一人物だ。

医者に前立腺が非対称だ、といわれその言葉を会う人会う人に投げかけるエリック。だが、彼らはそれを理解しない。彼と違うからだ。

だが、レヴィンはそれを聞き、「俺もだ」と答える。

エリックが元の読みに失敗したのは、彼がルールの不均衡を、チャートに表せない不規則さを受け入れられなかったからだとレヴィンにいわれたエリックは、やっと理解する。

そして、彼の薄汚い世の果てのような場所で、銃の傷にうめき苦しみ、そして彼を殺すことでしか自分の存在意義を見出せないレヴィンに最後銃を突きつけられた彼は、涙する。

レヴィンは、エリックを殺すことで、一人の人間となるのだ。

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こうした、Twinのモチーフは、Harry Potterにも出てきますよね。。まあ、HPの二人は結局お互いどうともならないですが。

現代社会の闇や病を映し出す映画って、すごく、面白いんですが、なんとも単調な気もしなくはない気がしてきました・・・というよりも、異なっているのにその人間的な何かを排除した感じが、似てしまっているというか・・・

ちなみにデイヴィッド・クローネンバーグの作品はすごく気になるんですが、表現が露骨らしいし、グロテスクなものは私的に苦手なので、これが初めてです(笑)

でも、主人公とヒロインの美しさは、リムジンの美しさといい、画面的にも素晴らしいですね。

ある種まったく人間らしさを感じられないところが好きです。

ヒロインを演じたサラ・ガドンも、クレマンス・ポエジーのような人間離れした完璧な美しさに息を呑みました。

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