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Broken Flowers

Broken Flowers




                                                リアルとリアリティの狭間。
                      
                          *ネタバレ注意。


リアリティとはなんだ。

私たちはリアルと接し、衝撃を受けることで、変化する。だが、変化とは成長であり、経験であり、積載する痛みである。

社会に生き、人と接しようと思うなら、私たちは無意識的にそれをせざるを得ない。だが、もしおとぎ話の世界、自分の世界、隔離された世界に属しそこを動かないのであれば、人は浦島太郎のようにリアリティという現実からひき離され、時間の進み方や考え方まで異なるのかもしれない。

ジャームッシュの”Broken Flowers”は、ある意味”三銃士”や”Lolita”を頻繁に盛り込んだり、といかにもリアルな世界と物語世界とを取り込んで、あたかもそれが現実ではないように思わせる。

だがその全貌は、中年の成金男(主人公Don Jonstonはコンピュータに関する何かで働かずとも金が入ってくる)の自分探しだ。

というと、Sofia Coppolaの前作”Somewhere”と被るのだが、実際彼が自分に手紙を送ってきた元恋人を訪ね歩く時、これは明らかに過去の恋人と会って息子を探す旅というよりは、自分探しだ。

彼の元恋人にはまず、ロリータという名のセクシーな娘がいる未亡(未亡人なんていうとますますナボコフのロリータみたいだが)や、夫と高級住宅を売買する不動産屋の元恋人、ギャングと結婚した元恋人、動物医師(?)、そして最後、亡くなった元恋人がいる。

まず不動産屋の元恋人のところに行った後には、もう元恋人に会うなんていう試みはあまりに骨が折れるし、精神的に辛いと語るDonは、しかし、それでも自分の息子を生んだという元恋人を探し続ける。

元恋人の中には自分と別れたのちに成功した者、落ちぶれた者、違う人生を歩む者、と様々で、彼女たちはすでに彼が付き合っていた頃に知っていた人間と違う。

主人公は既に中年だが、大してその生活は別れた後も変わっていない。彼女たちの人生はいかに彼が別れた後も人間の人生が変化しうるかを見せているし、彼はその間何も変わっていない。つまり、変わろうともしなかった。冒頭、恋人のシェリーに”私と結婚する気はないの?”と迫られるDonだが、彼女と結婚して家庭を持つということも出来たはずだ。しかし彼はそれをしない。ただ家にこもり、暗い部屋でジャージを着てテレビを見るだけだ。(少なくとも鑑賞者が彼について知れることはそれぐらいなのだが)

動物医師になった彼女だが、Donと付き合っていた頃彼女は弁護士を目指していた。成功したが、仕事だけの人生にほとほと精神が疲れ切った彼女は、動物だけが慰みだった。ギャングと結婚し元恋人はDonの顔を見たくないほど彼にはうんざりし、付き合っていた頃と変わってしまうし、その衝撃にその夫に殴られる。

Donは別れた後に彼女たちに起きた出来事を経験していないし、その時一緒にいたわけでもない。一緒にいたのでもあれば、何かが変わったかもしれない。

そこへやって来るのは、自分を探しに来た息子らしき若者だった。サンドイッチをおごり、少し話をするDonは、アドバイスを求められ、”過去は過去だ、大事なのは現在を生きることだ”と言う。そんな彼が現在を大事にしていないのは明らかなので、皮肉っぽいのだが、自分を探しに来たのだろうと告白すると、彼は若者に逃げられてしまい、その後を追う。彼は追いかけるも、結局捕まえることはない。このどこぞの息子(結局この若者はどうやあ自分の息子ではなかったらしいのだ。ちなみにDonがその若者を追うのやめたところに、息子らしき人物がくるまでやってくる。ちなみにこの息子役を演じているのが実際のBillの息子なのだ。。。笑)さえもきっと、彼がいたことを忘れるか何かの地点として、現在を生きるようになるのだろう。

果たして彼は変わるのだろうか。

むしろ、あの言葉を言ったDonは、元恋人たちにとって、変わるキッカケを与えるのみで、自分にはそれが全く起らないという反語的何かを演出しているのかもしれないが。

そういえば、Sofia CoppolaのLost in Translationでも、ビルマーレイが出演していたが、思うに彼は”静止”を現すのがとても上手い、というか自然に湧き出てくる。

映画のこの写真を見てもわかるのだが、ビル以外の役者が盃を上げるなかで、ビルはそこに地縛霊のように入り込んでいる異質な、だがいることでさらに他の人物たちの動きがよく感じられる役者だ。



まさにこのDonが地縛霊のようにずっと同じ家で同じ生活を繰り返し、その間に世界が変わってしまったかのような、浦島現象。



Somewhereの父親が、それなりに有名な俳優になり、女と金を持て余す自堕落な生活をするところに突如”娘”というリアリティがやって来るように、Donの元恋人たちは彼にリアリティを提供している。
そしてそのリアリティが一挙に押し寄せ、他人の人生、生活の様変わりの様子が見えた途端、自分が地縛霊だった、または変わっていない空虚なものに思えるのだ。

こうしたDonの、繰り返しのような空虚でモノクロな世界に突如やってくる、リアリティは"ピンク色の何か"として現れてくる。それは若者のお守りであり、過去の文字を打った捨てられたタイプライターであり、ロリータという、まさに”今”を生きるセクシーな少女の若さを象徴するものであり、またDonが彼らに別れ際渡し、再びの別れを告げる花束である。(ただ、慰みだった犬にJonstonという名をつけた動物医師だけには、Donは花束を渡しそこねているので、彼女が唯一元恋人たちの中で、変わりつつも彼を大切に思い、過去として清算しなかった女性かもしれない)


それから追記のようだが、ジャームッシュのインタビューに興味深いコメントがあったので抜粋。

リアリティ、現在を生きることが大事、ということでジャームッシュがロックについて語っている。

ロックはまさに若さの象徴であり、過去も未来もなりふり構わず今を生きる若者たちを体現するものであったのだが、弊害としてそういうものが多量に消費されて捨てられる商業になってしまっている。というのも速さが、新鮮さが若さであり、それを失えばロックは生き残ることが難しいからだ。というのは今のポップや、ロック、カルチャーが掃いて捨てるほどに存在している中で、若さだけが売りならそれらは既にリリースされた瞬間から腐り始めているからだ。

現在を生きる、過去は振り返らない、というのはスタンスとしてはカッコイイし、初期衝動があるのだが、あまりにもそれのみを保持しているのなら、退廃するのも早いはずだ。(スタンスとしてそれを体現するなら未だしも)

すでにかなり老いぼれているDonは、現在を生きる若者たちほど、リアリティを生きられないのである。


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