James Blake / Over Grown 8.0
James Blakeの衝撃のセルフタイトルアルバム"James Blake"から早2年でこのOvergrownは届いた。
これまでのジャズとダブステップ、R&B、フォークなどをふんだんにブレンドし静かだが衝撃のサウンドを世界に届けてきたBlakeだが、今回はさらにパワーアップし、その才能のとどまることを知らないようである。
最近ではLAのツアー中に知り合ったらしい、Warpaintの美人ギタリストTheresa Waymanと海を越えた遠距離恋愛中であることも告白していたが、今回の作品はその遠距離恋愛にも影響を受けたようだ。
遠距離恋愛の不安定さ、将来に対する不安、ツアー中の心のバランス、音楽界に対する不安、そしてそこに位置する自分という立場の不安定さといったものにかなり影響を受けているらしい。(from NME)
私が個人的に気になっていたのは、それよりもむしろTheresaとはかなりの年の差カップルと報道されていたことなのだが、Blakeが5歳ほど年上なのかなと思っていたところ、実は年上なのはTheresaの方で、実はなんと現在33歳である・・・まさか。
Theresaは1980年生まれ、Blakeは88年生まれなので実に8歳差カップルというわけである。見えない・・・
こちらの写真を見ても、うん、そうは見えない。というか、二人があまりにも美男美女カップルなので、ファッションモデルカップルのようだ・・・
いやはや。
とまあ、無駄話はここまでにして、Pitchforkのレビューが上がっていたので、訳してみた。
参考にどうぞ。
2011年後半に公表されたインタビューで、James
Blakeは偉大なるダブステップへの論争に対し、自身の譲れない一線を示した。サブベースが骨を粉砕するほどに自身の感情にこだまする様に、すっかり虜になってしまったこの青年は、キャリアとしてはピアノを少しかじっていたというだけだが、アメリカ盤Skrillexのような天才たちに立ち向かうかのように突如現れた。Skrillexのような演奏家たちに対し、Blakeは、「男性ホルモンが沸き立った、フラットボーイ(同じアパートに住み同じ学校に通う兄弟のような関係の男子学生たち、たいていビールを浴びまくり女の子を追いかけてばかりいるやつら)たちの市場」に強くこう主張する、FeistとJoniにカバーやBon Iverとのデュエットが彼らとそう変わらないことをやってのけるのが、23歳になったばかりのロンドン子であると告白するのだ。Blakeは自分の音楽が平等主義以外のなにものでもないとしている—リスナーの男女には分け隔てなく自分の音楽を発しているのだと—だが純粋にダブステップの新しいアイディアの表現であるともした。こんなこと(Blakeの音楽が男女差別をしているなど)を考えるのはアメリカのダブステップリスナーの思い込みに発した虚偽であるし、またこれは「ハートオブウーマン」からとってきたぶしつけな言葉なのだが、確かに、Blakeがあの小さな国へ向かって、十分なほど広いジャンルを網羅し、レイヴの復活と憂鬱なフォークを組み合わせた音楽をはっきり主張しようとしたことは明らかだ。
Blakeが引き続きあの露でしめったような、エレクトロのゴスペルフォークとの関連で真に意図していたことは、セカンドLPのOvergrownから読み取れる。レコードに関するいくつかの点では、ダブの崇拝者たちに、音の破壊を起こすことができると見せているようだ。もしそれが混乱した感情だとか単純に聴くものを踊らせようとしたのかはわからないが、そうだとしてもDigital LionとVoyeurの集結部分はベースが先に来て、ブルース要素があるというBlakeがこれまでにやってきたものと同じだ。
Lionの最後の部分はBrian Enoがコラボレーターとして参加しているが、明らかにBlakeのゴスペルに執着しているのは聴いて取れるし、言葉になっていないボーカル部分は力強いグルーブになっている。その部分で言えば、Voyeurはおそらく彼のこれまでの作品中最もテクノな音の曲なのではないだろうか、曲の最初の部分を聞いただけではわからないのではあるが。Blakeは静かなジャズで始まり、ある短いフレーズを繰り返し(彼女は僕に夢中だ)軽いピアノ演奏の繰り返しの上に乗っかり、そしてミニマルなベースがなる。カウベルや4/4の拍が次第に何かクラブの曲をもわせるような曲へと変化していき、Four Tetがゆっくりと作り上げた、2010年発表のパンチの効いた"Love Cry"や2011年のじわじわとくすぶるような、サンプルベースがなる"Pyramid"にも似ている。
OvergrownはBlakeの自分自身を表現した2011年のデビュー作よりもさらに自己をさらけ出すような作品だ、ゴスペルやR&Bの要素をさらにふんだんに取り入れ、そして音楽テクスチャーもより広く取り入れている。ある意味では、BlakeがLPとEPに表される彼としての自己の真ん中で出会ったのだとも感じられる。EPに収録されている曲郡は、あのぼやけた顔と名前をLPカバーとして載せる前だが、Blakeがここ最近のUKでは神童プロデューサーでだということ、そして古典的要素と曲をAaliyah and Keilsのサンプルでまとめあげてしまうようなモダンな才能があるのだと我々に思わせる。ファーストLPではしかし、Blakeはシンガーソングライターとして進むことを選んでいたが、時代の先端を行く音楽を作るのではなく、心の音楽を作ることによって、純粋主義者を排除してきたし、その一方で新たなファンを獲得し、そのファンたちはHemlockレーベルから出た作品には全く興味がないというそぶりである。
Blake自身控えめな物の言い方はしているが、Overgrownは素晴らしいものだという評価を得ている。アルバムは2011年のLPで子供の頃あった人間関係を振り返って後悔したり、自分の夢について考えていた、あの作品の様式から始まっている。タイトルトラックでは、弱々しく「僕はスターになりたいわけじゃない、ただ海岸の石でありたい」といい、自分自身に注目を集めたりするよりも周りに溶け込みたいと望んでいることを吐露している。もの悲しげな彼自身の写真をアルバムカバーにするなんていうことはそれ自体疑問がある姿勢だし、その歌い方は自身を深刻に捉えすぎてほとんどセルフパロディにまで踏み込んでしまっている。
だが華やかな部分もある、それからTake a Fall for MeというRZAとのコラボ作品なのだが、Blakeは少しぎくしゃくしたロマンティックイメージを曲全体に塗りたくることにしたのだ。二人がコラボすることに至った理由は明らかだ、二人のプロダクションスタイルは全く似かよっている。両者はこもったような、強いベース音のサウンドスケープをR&Bのスタイルの中で鳴らすスタイルを好んでいる。なぜここでRZAがラップをするよう頼まれたのかはしかし不明だ。もしJames Blakeがアルバムで、「tight as the
grip of squid」というフレーズを聞きたいのなら、もしくはアメリカ人が持つイギリスの食事に対するステレオタイプ概念(フィッシュアンドチップスやギネス)を聞きたいのなら、君たちはラッキーだ。私たち(ライター)にとって、「Fall」はBlakeの完全な失敗作であり、少なくともボーナストラックぐらいのレベルに降格させるべきなのだが、それかおそらく自分だけにとっておくべきだっただろう。
Overgrownはデビュー作と比べて完璧に優れたものだとは言えないが、ファーストLPのファンたちはそこに何かしらの素晴らしい部分を見つけるだろう。確実に進化したと言えるのはかなり様々なR&Bやゴスペルスタイルを取り入れてブレンドしているところだ、アルバムではファーストシングルのRetrogradeがこの進化という点では示している。恋に落ちることを歌った自伝的曲では、荘厳なBill WithersのGrandama’s Handsと周期的な情熱の爆発を掛け合わせて、Blakeが「突然にして僕は勝った」と叫ぶのだ。アルバムを通して彼はうまく焼け付くようなベッドルームバイブである、R&Bの復活でQuiet Stormの一部ともっとありふれた生活をしているイギリスの「ベッドルーム」アーティストで謎の多い人物との間の違いを明確に示している。To the Lastは特にサドスタイルのなめらかなソウルの周りをつま先で歩いているようであり、波が砂浜に打ち付ける音をシンセで再現したサウンドが添えられている。
BlakeのR&Bへの非構成主義はHow to Dress WellのTom Krellの感じに似ている。最近のPitchfork TVでのインタビューでは、Krellは曲を各プロセスで、体全体を感覚に集中させることを一つとして上げていたが、それだけでは我々が理解出来る感情には形作られるわけではない。突然、それが出来上がるのだ、言い換えるのであれば、だがその感情が喜びなのか、不安なのか、フラストレーションなのか、それとも恐れなのかはまだ自身わかっていない—ただ何かがそこにあることに気づくのであり、それを捉えようとする、もっと近いところで調べようとする、ただそれをカテゴライズしたり、ほかに移ることはしないのだ。Blakeはこれを本当にうまくやっているのだといえよう、(さらに、何がすごいかというと、RZAはこうはしないからだ)こうした感情を突き止め、そしてそれについて話そうとする。I Am Soldでは、Blakeはそのプロセスを説明しようとさえしている、たったひとつのフレーズについて何度も何度もじっくり考え抜き、ひねってみたりする、そしてまた違う方向からアプローチしてみたりするのだ、「自分たちがどう感じているのか考えてみよう」彼がもっと大きな音楽の領域に入っているのかを気にするよりも、彼が「スターなのかそうでないのか」、それがBlakeの快適帯だ。重いベースパンチをつくろうが、静かな瞑想曲をつくろうが、ますます最新の、何かしら中間的なものをつくろうが、Blakeは感情について考えることについては現代の師だといえよう。
Sorce refered by Pitchfork
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