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「もうすぐ絶滅するという紙の書物について。」

 
もうすぐ絶滅するという紙の書物について。
 
考えてみた。
 
 


かなり前から気になっていたこの本。
題名からしてもかなり気になる代物ではあるが、この本自体とても装丁が凝っていて、黒い本背表紙に加え、横のページが青く塗られている装丁デザインでも賞を受賞していたものである。
 
まさに、この本の内容含め、この本そのものが保存するべき価値ある代物というわけだ。
 
 
内容もかなり充実していて楽しめる。
 
デジタルvsアナログ、過去と未来、そして進化。
 
我々は今技術のスピード、進化の中で到底追いつけないようなスピードで成長する自分たちを取り巻く環境に適応しきっていないようだ。
 
というよりは、すべてが取替え可能、そしてすべてが一瞬のうちに古くなってしまう世界。私たちはそのスピードに対し、ほんの短時間しかそれに適応した瞬間を生きることができない。
 
そして、結局、未来というものは、人類の原始レベルに遡るということだ。
 
この本が考えさせてくれるのは、そういったデジタルvsアナログといった、単純な世間で論議になっている話ではなく、地球規模、人間規模での話であり、歴史の話なのである。
 
本自体の内容は、Jean Claude CarriereとUmberto Ecoというフランスの作家と、イタリアの中世学者の対談によって構成されているのだが、もちろん二人の並々ならぬ芸術や技術の歴史、そして変化に対する知識というのは、この「紙の書物」という論点からかなり噛み砕いて話が進められているが、深く、それ自体芸術論としても楽しめる。
 
私自身英文学の勉強を大学でしているのだが、本当にこの本で論議されている内容というのは、とても面白いと感じる。
 
人間、この世界に対し何一つ未来に新しいものなど存在しないのかもしれない。というのは、未来というのは常に過去の総集であり、真新しいというよりは、過去をほどよく織り交ぜてブレンドしたか、もしくはそこからある部分だけを取り出したのか、というような、ベースとしての過去ありきでの話なのであり、新しい技術であろうが芸術であろうが、新しい考えといったものはもはや人間からは現れてこないのかもしれない。
 
例えば、今ある体外受精や精子保存、飛行、過去と現在との行き来、といった考えは、ともすればほとんどがウェルギリウスやホラティウスなどのギリシャ神話に見られるのだ。
 
かのシェイクスピアだって、彼自身ほとんどオリジナルなものを作り上げてはいない。あれだって、神話や民謡の踏襲なのだ。
 
まあ、もちろんアナログとしての本と、デジタルとしてのパソコンの両社のメリットデメリットレベルでの議論もあるが、立ち返ると人間はこうした高速の世界に生きていて、逆に後退しているというか、原始レベルに戻っているのかもしれない。
結局はアルファベットの問題なのだと。
 
ただ、会社でもそうだが、本というアナログ媒体は、だいたい何かに「記録する」という行為そのものが生まれた瞬間から存在し続けているものであり、それが現存する限り、何らかの方法で私たちはその過去を読み取ることができるということである。しかし、コンピュータやデジタルにはそれができない。というのも、OSやらシステムだかは、すぐにコロコロと変わり、人はそれを操る方法をすぐには習得できないし、おまけにそうした媒体に保存されたものは、システムが変わればすぐに使えなくなってしまうし、(例えばフロッピーとか)永遠とその媒体が再生できる機器を持ち続けなければならない。(つまり、新しい媒体が出てそれに対応し続けようとするなら、いったいいくつの世代のパソコンが必要だというのだろう?)ということがあるし、もちろんその機器が壊れたら、パアだ。(今の電子機器はすぐに壊れるというのに、だ)
 
こうした話の題材で取り上げられることがいちいち興味深いのだが、その中で私が面白いと感じたトピックなどを挙げるなら、
 
・映画の問題
ハリウッドのアクションものなんかは、シーンが次々とテンポ良く移り変わり、そのシーンを3秒以上流すことはないらしい。まずそのテンポの良さが歯切りよく物語をトントンと展開していくのだが、これは例えば昔(今の少しそうだが)シェイクスピアなどの劇では全く考えられないことだ。
というのも、シェイクスピア劇はそのシーンの長さと、舞台の上演の長さが同じなので、平気で5,6時間上映したりするのだ。つまり、劇中の物語と、劇の長さは同じなのである。しかし、ハリウッドは違う。もはや手際よくまとめたダイジェスト版だ。
私は割と苦手なのだが、フランス映画なんかはそういう類なのかもしれない。例えば、コッポラのSomewhereで主人公が顔型を取るために待たされるシーン。本当に観客も5分近く待たされる。(ちょっと発狂するかと思った)
 
・記憶の問題
結局アナログだろうがデジタルだろうが、これらは私たち人類が何かを記録する、頭の中で記憶するものを外注して済ませようとした結果なのだ。その中で私たちは、どれが信ぴょう性があるか、どうしたのなら適切な時に適切な部分だけ取り出せるかということを論じている。たしかに、信ぴょう性ということで言えば、人間が作り出したもので何かが正しいだとか、誤っているということはしょっちゅう基準が変わるなら判断するのは難しい。人間は見栄のために嘘をつくし、それが及ぼす影響というのは波のように広がっていく。
しかしとりあえず、人間が覚えるという行為、正しいものを判断しようという行為をやめてしまったなら、よくあるSFのように人間は動かない、考えない、ただの奴隷になってしまうのだ。
世代が若くなるほどに、運動をしなくなる人間は、本当にその日が近づいてきてしまっているのかもしれない。
 
話が長くなるのでここまでにしよう。だが、この「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」の本が、単純レベルでの終わらない議論なのではなく、それ自体世界の歴史やこれからについて論じた壮大な話であり、かつ大変興味深いということは言える。
 
ぜひ読んでもらいたい。


 


 


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