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365日のシンプルライフ

365日のシンプルライフ
ありがちなタイトルのことはさておき、現代の26歳の若者がどこまでモノのない生活が出来るのか実験するドキュメンタリー仕立ての映画。







主人公は彼女に振られて人生にちょっと落ち込んでいる26歳。モノが大好きで、たくさんのものに囲まれながら新しいモノを手に入れるのにカードを切るのが大好き。まあ一般的な若者だ。ところが彼女に振られたのをきっかけにいくらモノに囲まれても精神的には満たされないことに気がつき、まずトランクルームに持ち物を全部詰め込む。服も、家具も、全部。1日一個トランクルームからモノを持ち帰っていいことにし、一年間食料などの必需品以外モノは買わないという実験を試みる。彼が毎日持ち帰ってくる様子を見ていると、わたしたちの身の回りにはあれもこれも実はそこまで必要ではないことに気がつく。


そういえばわたしは最近また引越ししたのだけど、その時にも例えば一年着てない服とか、仕舞ったままのモノは大量に処分した。ベッドも捨てた。(っていうのはアパートの一階に住んでいたのだが、湿気が凄く、ベッドを始めリビングにあった大半の木製や布製品にカビが生えていたからなのだが…)もちろんベッドはあとで買い直したけど、しばらくは床にマットレスを直に引いて寝ていたら、この方がすぐあげられるし、便利なんじゃないかとすら思ったが。わたしたちは何の為にモノを持ちたがるのかというと、きっとそれは豊かさの象徴だからなんだろう。モノをたくさん持っていることは自分が豊かなことを証明しているように思うのだ。だが、考えてみればあれもこれも元を取るほど使えているかというと、そうでもない。


映画の中で主人公ペトリは多くは語らない。ただモノなんて最低限あれば生きていけるということだ。携帯がなくても4ヶ月は生きられると。(人間関係を悪くしたくないという理由で携帯は持ってくるけど)モノを持つことによって人は満たされていると勘違いするけど、所詮モノは道具に過ぎなくて、大事なのは人との関わりだということ。人生に大事なのはそうしたことだというのは伝わってくる。戦争から大量生産、消費、ファストなものから今流行っているのはスローライフだ。上質なモノを、というけどきっと上質なモノを持つことよりも、使い勝手がいいモノを最低限持つことにして、人間関係や精神面での何かをもっと大事にすることの方が現代人には必要なんじゃないだろうか。




かくいうわたしも買い物が大好きなのだが、一人暮らしをして収納が減ったこともあり、モノを買うことについてちょっと考えていた。どこかにしまっても出してきて使うようなものは取っておくにしても、逆にしまっておいて存在を忘れるようなモノは捨てることにしている。そしてよくよく考えてみれば、買い物が好きというよりも買い物する瞬間のあの、そのモノを買うことによって手に入られる新しい生活というか、新しい変化を想像することが楽しいだけなのかもしれない。だから真にきっと買い物が好きなわけでもないし、新しくてキレイなものを眺めるのは楽しい。が、もしかするとそんなことに余暇を使うよりは、新しい場所に出かけていろんな景色を見たり、体験したり、新しい人間関係を構築することの方が人生には重要なのではないかと最近感じている。それっぽいことを言いたいわけじゃない。本当にそう思っている。

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