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To the comment towards Lauren's (Chvrches) article

ChvrchesのLaurenちゃんの記事に寄せて

先日、UKのメディアThe Gurdianにある記事を投稿し、そしてとても興味深いことを書いていたのは、いまや日本でも引っ張りだこのエレクトロバンドChvrchesのボーカルLauren Mayberryでした。

25歳ながらとても目立つベビーフェイスと洗練されたピュアなボーカルが魅力的な彼女ですが、元ジャーナリズム専攻でライターを務めていたという彼女の文章は、かなり辛辣でした。

日本ではそこまで取りざたされないように思う性差別問題についてなのですが、以下、訳も合わせて記事を寄せてみます。

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私が今いるバンドはインターネット上で生まれました。
Chvrchesは2011年10月に結成し、そして曲を書き始めましたが、私たちがよろよろと公の場に足を踏み出したのは、Neon Gold music blogに初めて一つの曲を投稿した去年の5月でした。その時から私たちのことを知る人たちは皆-レーベルやメディア、そして一般人-ほぼ間違いなくブログ界やソーシャルネットワークを通して私たちのことを知るにいたっています。

そのため、私たちのことに興味を持ってくれた人たちと直接、自分たちが持っているソーシャルネットワークを通して色々な人と交流することは私たちにとって重要なこととなっています。

しかしながら、インターネットを通じて知ってもらうということには悪い側面もあります。

先週私はバンドのページに毎日送られてくるたくさんの不適切なメッセージをスクリーンショットで撮り、ページに投稿しました

この投稿の後で、私は座って画面を見ていたのですが、そこで段々と多くの方がこの呼びかけに対してコメントを寄せてきたため、驚きのあまり、開いた口が閉じませんでした。

あの投稿を書いていた時、Facebookの統計値では投稿した人が581376人に達したとありましたが、5分後にはその問題のページだけに投稿した人だけでも1000人もの人がいると、投稿した写真の下に表示されました。

不愉快だと感じる人や協力的な人、こちらが見ていて嫌になるぐらい不快なコメントまでありましたが、その中で私がとても気にいっているコメントがこちらです。

”これはレイプカルチャーじゃねえんだよ。俺がてめえをレイプしてやれば、それがレイプカルチャーなんだってわかるさ、ビッチめ。”

”俺は君の住所まで知ってる、だからあんたのうちまで行ってヤッてやるよ、きっと気に入ると思うぜ(笑)”

あばずれぶってろよ、頭だけ良いやつみたいに扱われてな”

単純に君がどう対処すべきか学ばなきゃならないことの一環だろ。そんなにすぐ嫌な気分になるんなら、音楽業界なんて君向きじゃないんだよ。

だけど、なぜ女性はこうしたことに”対処”しなければならないのでしょうか。私は今の仕事が出来て本当に信じられないぐらいラッキーだと思っています-そして私たちのバンドを気にかけてくれているインターネット上の人たちがいなければ、私たちは音楽で生計を立ててはいけないことを痛感しています。しあし、それはたくさんの人達にあのようなコメントをさせておいて簡単にOKと許しておかなければならないということでしょうか?それが私のような立場にいる女性がそうしろと言われていることだからなのでしょうか?

私自身この業界ではこうしたコメントや批判があるということは認めています。常にひどいレビューはあります:これがフリーメディアや言動の自由においては自然です。いったん自分の作品を公開してしまえば、それに対して人々がコメントをしてくるという事実は認めなければなりませんが、それを読むか否かはその人自身の自由です。(Kathleen Hannaはこうした意見をこちらのインタビューで素晴らしくまとめてくれています。)

しかし私が認めるのは、”少し性的だが一般的には無害”といった程度のコメントから”明らかに性的に強引な”コメントの範囲であって、それならば許容できます。つまり”たまたまそうなってしまった”といったものです。Objectification(人をあたかも物のような感情がない、または人権を持たないかのように扱うこと)、という言葉がどんな形のものを指していようと、その言葉が指すのは誰でもが”対処”するべきことではありません。

私たちがFacebookのページを始めてからは、色々なメッセージを目にしてきました -良いものも悪いものも-私たちのメッセージボックスに届いたものたちです。私たちのバンドに関わっているたくさんの人たちはこうした日常的なのことを気にかけるのは止めた方が良い、そうでなければそういったメッセージも増えて来るだろうし、Chvrchesのスケジュールも立て込んでしまうと。しかし私としてはファンが私たちのことに興味を持ってくれて、個人的に繋がろうとしてくれていることを大切にしたいと思っています。

おそらく多くの人は素晴らしいPAチーム達が私たちのソーシャルネットワークに対応してくれているのだろうと考えていることでしょう。たぶん男の人が-でもごめんなさい、全部男性でした-そういった求めてもいない「アナル」騒ぎを迫ってくるメッセージを送ってくる人たちはおそらく、そのメッセージを読んでいるのは実は私だなんて思ってもみないのでしょう-それとも誰が読んでいるのかなんてことは気にもしないのでしょう。しかし、本当にバンドたちと何かをシェアしたいと願ってくれる人たちからのメッセージを受け取るために、私はこうした全ての卑劣で、不快なメッセージにふるいをかけなければならないのです。

私は毎朝起床後にメッセージを読んでいます。それからサウンドチェックの後にも目を通します。私がメッセージを読むのは、自分たちでそうしたメールであったりメッセージをチェックしているからであって、バスに乗っているときや日中に休憩を取っているときに携帯から見ています。そして、しばらくしてからは、多くの肯定的なメッセージにも関わらず、その他の攻撃的で、押し付けがましい種のものが無視できないほど増えてきます。これまでの過去のツアー期間中、一回以上はトイレで長々と泣いている声を聞いたり、「ねえ、しっかりしなさい、元気をだして」とトイレの鏡に向かって自分と対話しているのを見たことがあると、困惑しつつも認めなければなりませんし、そうした時は特に大きな怒りを感じたり、疲れているときでした。しかしすすり声がやんだ後で、私は自問しました:どうして私はこんなことで泣かなきゃいけないの?なぜ暴力されているみたいに感じたり、不快な思いをしたり、卑しめられてるように感じなきゃけないの?なぜ私は黙ってなきゃいけないの?

女性たちは毎日こんな風に自分に話しかけています、公共の目にさらされる運命でない女性ですらそうなのです。気が滅入るような現実というのは、the Everyday Sexism Progect(日々の性差別プロジェクト)は存在意義がないといったようなキャンペーンは軽い性差別ではありますが、このキャンペーンは驚くほど一般に浸透していることではありません。私がここに書いておかなけらばならないのは、私は男性-一般男性とかそうした人たち-はそうしたコメントを受け取らないだなんていうことは全く言った事がないということです。しかしながら、私が知る限りのことを話してもよいなら、私のような「女性シンガー」に宛てられた多くの不快なメッセージの数は、私のバンド仲間へ宛てられたものに対しても多いのです。私は自分のことをフェミニストだと思っていますが、私はフェミニストのとても基本的な定義である、「男女間の平等性を捜し求める人」という意見に同調しています。私は今、そして常にそうでしたが、私がバンドを一緒にやっているのは、とても賢くて頼りになる人たちですし、私はこれまで生きてきて、家族や友達でも多くの素晴らしい男性に出会ってきました。私はとてもそのことをうれしく思っています。

それでも、おそらくオンラインの相互やりとりというのはこうした男の人たちが見落としてしまう個人的な側面となってしまっています。明白すぎて尋ねられないことには、「これがもしあなたのお母さんや姉妹、娘、妻、そして彼女に宛てられたものだったら黙認するの?」という質問で、荒らしや4chan(海外の画像掲示板)中毒が必要としていることは基本に立ち返るということです。つまり共感することを少しは学ぶという意味です。他の人に少しでも尊敬の念を持ってほしいのです。そして、発言する前にきちんと考えてほしいのです。

私にはたくさんの欠点(遅刻常習;せっかち;何も焼けないぐらいの料理下手とか)がありますが、世間知らずというのはこれに当てはまりません。私はたいてい音楽産業に対する見方であったりメディアに対しては冷笑的に考えていますし、仕事をしていないときは、このバンドも私たち自身のために、ミュージシャンとして-特に私自身は-深刻に捉えられてしまうような特定のことをするのを避ける必要があると自覚していました。私たちはこれまでとてもラッキーなことに、自分たちのやり方で物事を進め、きちんとした仕事をし、自分たちのバンドに対して「女の子をフロントにもってこよう」計画といった、レーベルやマネジメントに頼ったばかりに音楽とほとんど関わりがないような、悲劇的な試みさせられてしまうこともありませんでした。

私はほぼ確信しているのですが、この記事の下に投稿されるであろうコメントは私がfacebookに投稿した元の投稿と同様さまざまなものになると思います。私は殉教者でもありませんし、革命的な方法で世界を変えようなどということをするつもりはありません。私はただのバンドメンバーなのであり、変化を熱望している多くの素晴らしい組織の人々ではありません。この論争に私が関わろうと考えたのは、ひとりよがりだとか自己憐憫的欲求によるものではありません。私が望むのは、この論争から何か良いものが生まれればいいなということだけなのであり、そこから対話が始まったり、またはすでに起こっていることに対する対話を続けたり、または他の人たちが同じような状況にいる中でそれを黙認してしまうのをやめさせようと励ましたりすることが出来ればいいなと思いますし、そうすれば私たちのバンドが私たちなりのやり方で、やりたいように今やっていることを続けていけたらいいなと思います。私たちにとって、これは常に-そしてずっとそうであればいいと願うのですが-音楽に関することであり、これからもきっと私たちが立ち返ってくることなのだと思います。

from Chvrches' Lauren Mayberry; I will not accept online misogyny. (私はネット上の女嫌いを許さない)

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と、長くなりましたが、以上Laurenちゃんの記事訳終わりです。

いかがでしたでしょうか。(と私が言うのも変なのですが)

Laurenちゃんがフェミニストというのも驚きでしたが、ところで日本ではあまりこうしたフェミニズム論争というのはメジャーではないので、取り立てて取り上げられることもなかったように思います。

私自身女ですし、正直なところ就職活動を経るとこうした性差別というのは頻繁に出くわさなければならないことだと感じます。
(例えば、総合職の女子は男子に比べて圧倒的に少ないだとか、どんなに成績を上げても女子は管理職に就きにくいこと、どうあっても出産子育てを経てもキャリアを積むのは難しいこと、などなど。)

実際、私は小学生ぐらいの頃からインターネットがあって、前略やmixiといったソーシャルメディアが流行したいましたが、それぐらい蔓延していると、やはり周囲でも圧倒的に可愛い女の子というのは、掲示板や個人ページに常に不快なコメントがたくさん投稿されたりしていて、あまりにもそれがすごいためにそうした友人は結局ページを畳んでいました。

こうしたことは、ネットが発達にするにつれて、悪化の路をたどっているのかもしれません。もちろん、私の知っている限りではいないのですが、イケメンや男性アイドルも同じような目に合っているのかもしれません。

彼女がジャーナリズム専攻だから、というよりは、こうしたことに対して不快感を覚えながらもきっとそれを公に手を振りかざして抵抗できる人は少ない中、とても素晴らしいことのように思います。

もちろん、結婚後の苗字変更論争やセクハラ行為だとか、日本でもこうした性差間の問題は取り上げらないわけではないですが、日本の女性は、というか日本人はそうした伝統(男尊女卑)に従うのが一般的で、抵抗しようものなら干されるのではということがありますよね。

というよりも、変えたいと思うほど嫌なら海外に行ってしまえ、という意見が多いですね。

本当にそれで海外に行ってしまって良いんでしょうかね。

環境にもよるのかもしれませんが、学生よりも社会に出ればこうしたことはより実感として感じられるのでしょう。

私もこうした女性の権利というのにはとても興味がありますし、実際大学ではほとんどフェミニズム論ばかり取り上げていたのですが、日本の学生の身では、あまり女性が性差別されることは少ないのだと感じます。例えばアルバイトや、学校、それからインターンといったところで女性だからという差別をされたことはありません。(もっとも、女だから得をしたということもたまにはあると思いますが)


ここまでは学生の身の私がいえるまでの範囲の小さなことではありますが、日本のこうした現状に何も感じない、問題を感じられない若者ではありたくないと感じます。

と、ここで思うのは、日本の女の子は海外のフェミニストアーティストの作品の真意や、作品の底に流れるそうした考えをきちんとわかっていないような気がするのですよね。

それというのも、今や海外で取りざたされている若い女性アーティストである、Arvida Bystormであったり、Tavi Gevisonといったアーティストたちは、ファッションであったり、可愛い洋服を着ていることによって、女性ファッション誌で、取り上げられてそれこそ流行の女の子が着こなす最新のお洋服なのでしょうが、彼女たちのアートの根底に流れる究極の代名詞はフェミニズムですよ。

Taviちゃんにいたっては、Bikini Killのメンバーでありフェミニスト活動で有名なKathleen Hannaを崇拝していてます。

Still Figuring Out...-Tavi Gevison (TED)

可愛く飾り立てられた「女の子」の何かというのに潜む、その根底にあるのはこうした女性性をそうした形できれいに飾り立てることで見せる、ちょっと毒々しい性差別に対する彼女たちの意見なのかもしれません。

色々書きたいのですが、長くなりすぎたので、出来ればもう少し色々な要素も入れた第二段を書きたいですね。笑



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