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Muse 2nd Law


  • Muse

    The 2nd Law 5.5 / 10

Museの待ちに待った新譜がついに発表された!

ダブステップを取り入れた衝撃のトレイラーが公開されてから、いったいどんな作品になるのかと待ちきれなかったリスナーも多いと思うが、どうやら世界的にその感想を見てみるとなんだか一概に素晴らしいとは言えないのかな、という印象。

「あの」Pitchforkのことなので、US indie以外はかなり偏りが見られるレビューも珍しくはないのだけど、ことさらこれを見たら爆笑してしまった。

ほかにも気になる記事はあったのだけど、それは次回あげるとして、とりあえずこの笑えるレビューを見てみてほしい・・・

私なりに頑張っておかしく訳してはみたのですが。笑

以下訳


Museが2nd Lawのトレイラーを公開したとき、これは君たちリスナーが入れ込んできたようなレコードから想像するような典型的な先買的ショックだった。「Museがダブステップに走った!」というリスナーが小さな旋風を毎期起こしたが、これは予測内の範囲だったし、かなり予想できたことだった。もちろんMuseファンたちはYouTubeのコメント欄を血に飢えたベジタリアンみたいに荒らしまくっただろう。しかし、Museが音楽的にQueenやRushの枠にはまっていると思うのなら、彼らは技術的にも褒められまくり、かつかなり有名なプログレロック--まあ常にシンセサイザーメインの音楽だから親切ともいえないような反応もあっただろうが--として定着したことでかなりの利益を得ていた。だがその一方で、Museはゆくゆく時期尚早動議を持つようになるのだろう。ただこれがバンドにとっての最後の未開拓分野なのであり、今は砂地に生息する多毛無視のようなベースラインを一定にしながらも、その音楽性自体は常にリスナーに同等の"届け物"を与えてきた--グラスを破壊してしまうほどのファルセットが走り、ワーグナー風のクレッシェンドやこの十年間月刊Guiter Worldを目の敵にしているかのようなソロだ。全様式をやりすぎるまでにマスターしてしまったようにも見えるが、the 2nd LawはMuseの非の打ちどころがない勝利だといえよう。問題はMuseがはるか遠くにまで行ってしまったということではない、...まだ届かないところまで行ってしまったわけではないのだ。


ちょっと待て、僕らが話しているのはMuseのことだよな?よく聞け、2nd Lawの前半は確かにMuseが完全に趣味が良さそうな範囲内に、それがどこであれとどまろうなんて考えていないとわかる。約45秒の"Supremacy"は、実際確かに本物のバンドっぽく聞こえる、すぐそのあとで軍のスネアロールといばったティンパニーが急ぎやってきて、待ちに待ったストリングスがうまくリスナーをMatt BellamyははからずもMichael Bayの映画とかMetallicaのシンフォニックな悲劇的なS&Mにふらふらと入り込んでしまったのかとすら思わせてしまう。さらに巨人たちがぶつかる時、Bellamyは「彼らは僕らの自由を奪ったりはしない」とか「クラーケンをはなせ」のどちらかを言い出すような男を完全に信頼して話している。ドラマチックな炎とともに、Bellamyはこう詠唱する、「君の真の自由は空想だ」つまり・・・あー、オーケー。だが「時が・・・」続く。「やってきて、」で、「それは」完璧だ。「破壊するんだぁああああああ」何を?Bellamyが「君の覇権をぉぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!」と叫ぶところで上に掲げていた飲み物を下ろすことだろう。突然やってくる2nd Lawのオーディオの形はかわいそうなほどに足りていないからな--次回はこれを「宇宙の戦士」(Robert A. HeinleinのSF小説)のい映画フィルムに対抗するものだと捉えるのだろう、このナンセンスな場合に一番ビジュアル的に相当するのは「スーパーボウル」でカウボーイハットをかぶった恐竜がF-15を構え、忌々しいエイリアンを吹っ飛ばしてゲームに勝つためのタッチダウンにスコアを入れている図だ。これは一番あほらしいというわけでもない--スパイギターが最後にちょっとやってくるまで待っていよう、たった今明らかになったメロディーが似たやつにも耐え忍び、Museが彼ら自身自分たちのJames Bondのテーアを作り上げたと信じ込んでいるのだと推察しようじゃないか。いや、本当はそんなことないのだが。


そしてこれがThe 2nd Lawの飛躍地点なのだ、Museがその限りないスタジオ資源を行使して、核の実弾等の備蓄みたいな一撃を起こしている、すべての暗黙の脅しや目に見える爆発まで。Purity RingやJames Blakeみたいな弱虫がだぶステップをスタジアムの状態に取り入れると思うか?できるやつをこっそり覗き見してみると、バンバンなるフックとか、Madnessのバキュームみたいなベースは、Museのポップな刺激がそういったものをもっていてコーチェラでヘッドライナーを務めたMars Voltaが持っていないものだと思い出すことになるだろう。Panic StationはRed Hot Chili Peppersが「ヒーローのように戦っていた」日々の裏で数百万を稼ぎ、骨盤となるベースラインをジャズの演奏に優れたLinnのスネアや偽のオーケストラのヒットで強化していたことを新たに思い描くだろう。明らかにここには「Prekude」があり、これはMuseならではなのだが、実際はこれが4曲目にあって、一番最初の曲ではない。さらに「Survival」は全体的にこれを必要としている。「Survival」は、はるかに一番2nd Lawの中でもばかばかしい曲だといえよう、もしMuseのすべてのキャリアがこれを最も成功した作品だとしていなければだが。想像してみてくれ、「Watch the (Game of) Throne(s)」(KanyeとJay.Zのコラボ作品)とかもしQueenが「鬼のような戦い」とか「自転車レース」のことをありえないが同時に曲に書こうとしていたらどうだろうか。Jess HarvellがThe Resistanceのレビューで触れていたが、Museは「自分たちと彼ら」といったようなゲーマー的ライフスタイルに常に合った見方を取り入れているのだという、そしてこの一人対大勢といったようなマリオカートがWarioを使ってピーチ姫を救い出しに向かうような感じだ--Bellamyはどなる、「人生はレースだ!そして僕は勝ってみせる!」Bellamyはすぐに大勢からなるギリシャ語のコーラスに囲まれていばりくさったオペラのようにハミングする。「僕は導火線に火をつける、僕は絶対に負けやしない」と。それからリスナーは指をクロスさせて(祈って)わずかに望むだろう、「ああ神様、彼がMuseの詩を作ってくれますように」だが、そうはならない、これがMuseが初めて一線を画したのだから。(断ったのだ)最高の状態でThe 2nd Lawはある種ドバイで過ごす一週間のような、やりすぎた誇示が同時に不快だし、不思議なことにこの経済的に落ち込んだ状態ではただその存在を慰めているようだ。

つまり、何が起こったんだ?「Save Me」とか「Follow Me」のような曲名から予測できるように、Museが貪欲にも音の崇高さを求めるのは、Museのファンから平等に熱烈ちっくな支持を得ていることによって定着しているのだ。ここにおいて、またこれ自体は大して問題ではないのだが、Museがどのようにスーパーヒーロー的音楽を作り出していくのかを見ればそれはわかるだろう。(クリストファーノーランがBonoを誘ってBatmanを演奏させようとするのを想像してもみてくれ、そうすればBellamyがどこから来ているのかがわかるだろう。)もちろんMuseのメンバーたちはそれぞれが持つ二つの手で世界を救うことができるだろう、しかしそれはただ無慈悲な感情とは全く違うし、スーパーヒーローになりたいなんて思わなくなる年端に達した大人にしか認識的内容なまじめな義務感だ--Bellamyはあほみたいに惑星が全身レオタードになってしまう運命をまじめにとらえていて、そこにはユーモアのすきも、セックスや現実逃避もない、本当に。
"Animals"と"Explorers"は「何か」をイマジネーションを膨らませる余裕を与えるには十分なほどの反トロピカルな曲だが、同時にそこから何かを研究しようとさせるものは何も与えてはいない。また、Museは実際無造作に鳴らすプログレのピアノで華々しさを掘り下げようとしており、Showbizという彼らのOK Computerを崇拝し模倣した魅惑的デビュー作、からまだそんなにかけ離れてはいない思うかもしれない。"Big Freeze"が氷河期と出会い、それが二つの町を覆ってしまうと、Bellamyはさらにトーンを上へと押し上げ、あたかも重量挙げ選手のコーチアシスタント席から飛ぶ叫び声を想像することだろう。"The 2nd law; Unsustainable"のトレイラーがリークすると、終わりに向かって飛び出して、エネルギー危機に対するパニック状態の伝達が"The Dark Knight Rises"のウォール街を占拠せよの響きと同じぐらい慎重に伝えられ、そしてすべての細部が同じように楽しめるものだった。

真実を言えば、The 2nd Lawは表面上その映画と同じような理由で成功したのだ--ヒューンという音とともに炸裂した技術的効果と休む間もないサウンドトラックは圧倒的で、「金を作り出すにはそれを使わねば」といった正当化された事実と同じだ。問題は全く楽しめないということだ、まず第一に「メッセージ」は不必要な過剰保障が誇張しすぎて、人々をこの種の漫画ものへと引きずり込むような大げさ気味なところを不必要なほど過剰に保障しようとしてるみたいに感じられる。悲しいかな、Christian BaleがBatusi(注;1960sにはやったgo-goのダンス。Batmanのテレビシリーズに合わせて作られたらしい)を踊る機会は大いにあったわけだ、BellamyがQueenでうたわれているような太ったケツの女たちについて曲を書く機会よりは大いにあるだろう。どちらも袋小路、もしくは少なくともある点では、こんな言い方をするとクリシェには反するが、それがこれ以上大きくなればそれは失敗するだろう。世界を救うのがこんな半端仕事に感じられたなら、ただこう望むことだろう「Apocalypse, Please啓示をくれ」と。

Pitchfork Muse 2nd Law

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