メッセージ (Arrival)
鑑賞後、一番違和感を覚えるのはおそらくこの映画がほとんど宇宙人の話ではないところだろうか。
宇宙人と地球の大戦争の話ではなく、この映画は宇宙人との対話についての話である。
-あらすじ-
大学で言語学を教えるルイスはある日、世界各地に謎の飛行物体が降り立ったニュースを見る。各地で混乱が起き、大学の授業も中止になったルイスの元へ軍の人間が協力を依頼に来る。謎の飛行物体は宇宙人のもので、軍の依頼とはアメリカでも有数の言語学者であるルイスに宇宙人の言葉を訳して欲しいということだった。宇宙人と直接接触しないことには翻訳は不可能というルイスからの条件提示に折れた軍は、ルイスと物理学者であるイアンを連れて飛行物体の元へ連れて行く。そこで宇宙人と接触したルイス達は必死に宇宙人の言語理解に努めるが、世界中では宇宙人への恐怖が募り、一斉攻撃が始まろうとしていた…
観た後の直感的な感想としては、文字や文学といったことが好きな人なら絶対にハマるであろう映画だということだ。
そしてあとはクリストファーノーランの映画が好きな人なら絶対ハマるであろう。
というのも、ノーラン映画でよくだと出て来る(私も大好きなテーマ)四次元世界、輪廻転生的な終わりと始まりの区別のない世界、こうした話が満載なのだ。(海外のレビューを観ても、結構ノーランのインセプションやインターステラーと重ねる人は多いようだ)
一回観てもおそらく理解しにくいのだが、ルイスが接触した宇宙人達は円形の文字を使用しており、その文字を習得することで人間は未来がまるで今起きていることのように分かるのだという。
ルイスは劇中で度々娘のビジョンを見る。その命の誕生から終わりまで。宇宙人と接触するまでルイスはそれが娘なのだということは分からない。だが、ところどころで登場する娘との対話シーンは進行中の物語と重なり、まるで同時進行でリンクするかのように絡み合う。
言葉や文学が好きな人にはオススメと言ったのは、この映画では”言葉”そのものが持つ意味や力について語られているからだ。
劇中で、ルイスがアボリジニーとの会話で起きた誤解について話すのだが、そこである船乗りが、今で言うカンガルーのことを指差してあれは何かと尋ねたところ、アボリジニーは”Kangaroo”と答えたので、それを聞いて、その動物をカンガルーだと思っていたら、後々”Kangaroo”はアボリジニー語で”言っていることがわからない”という意味だったという話からして興味深い。
そして、宇宙人たちの目的は3000年後に自分達が人類の力を必要とするので、いま人間に武器、もしくはツールを与えたいということなのだが、その武器、ツールとは彼らの言語であった。
バベルの塔にもあるように、人間はその昔一つの共通の言語を持っていたが、神に近づきすぎた罰として、別々の言語を持つようになった。
宇宙人の存在を恐れた中国による宇宙船一斉攻撃が始まろうとした時、また未来のビジョンを見たルイスは中国の軍指揮官の私用携帯に電話をかける。そして、彼の妻の死に際の言葉を彼に中国語で伝えるのだった。
映画ではルイスがなんと言ったのか翻訳されていないのだが”戦争は何も生まない。生まれるのは未亡人だけ。”と伝えたらしい。
ルイスが何ヶ国語話せる設定なのかは分からないが、ここで中国語で語りかけたルイスは、中国に戦争を止めさせるという力があったともいえる。
ルイスの本からも抜粋であるように、”言語とは文明の始まりであった。そして戦争へと引き込まれた。”
そして、ルイスが後々に国連のパーティで発表した本のタイトルは、”Universal Language 共通の言語”という。宇宙人の言葉が人間の共通言語になるとは…
そして後々この言語を習得した人間は時を超越する力を手に入れることが出来るのだと。
この映画のコアになっているのが、言語学的に人間は言葉それぞれに考え方というのがあり、同じことを表していても例えば英語話者とフランス語話者では考え方が全く異なっている。そして、言語を習得するとは、その言語に根付いた考え方も習得するということなのだ。(言語学的には否定されているらしいが)
ましてや地球人と宇宙人では考え方が異なるのは明らかだ。そして映画でも語られるように、彼らの言葉には順番という考えはない。どこから始まってどこで終わるという流れがないのだ。
ルイスは劇中宇宙人との対話をしながら娘との未来を同時に垣間見ている。
映画はルイスの娘が難病で救われることなく病院で命尽きるシーン、続いて娘の誕生シーンから始まり、こう語る。”私はずっとこれが(娘の誕生)あなたの物語の始まりなんだと思っていた。記憶というのは私が想像しているようには作用しない。私たちはあまりにも時間に囚われている、その順序に。私はその途中のことを覚えているし、これが終わりだった…でも今は始まりと終わりというものがよく分からなくなっている。(彼らの言葉には始まりと終わりがない。)”と話す。
劇中でイアンが”その新しい言葉を学んだら、君は考え方も変わるのか?”という問いに対して、ルイスは考え方が変わったというのが答えだ。
ルイスの娘の名前がハンナ(Hannah)という、綴りにすると前から読んでも後ろから読んでも同じなのも偶然ではないだろう。
ルイスにはもう時の流れであったり、物事の始めと終わりという考えはない。だから映画も物語の終わりから始まる。
(分かりにくいのでちょっと時系列で表してみる。ハンナの年齢とかは適当。
2040年: ルイスが語っている。(映画のナレーションが過去形なのも彼女が物語を振り返る形で話しているからである。)
2010年: ルイス、宇宙人と遭遇し、その言語を学ぶ
2012年: イアンと結婚
2013年: ハンナが生まれる
2020年: イアンがハンナとルイスの元を去る。ハンナに癌が見つかる。
2028年: ハンナ死亡
映画の最後でルイスはイアンから好きだと告白され、結婚することにする。そしてイアンの”子供をつくるかい?”という問いにルイスはこの結末を知っていながら、”もちろん”と子供をつくることに疑いなく賛成するのだ。
この映画を”宇宙レベルでの世界平和がテーマ”の映画と言ってしまえばシンプルだけど、あまりに普通過ぎるといえば普通過ぎるなという気がする。
Johan Johannsonの静かだが不気味サントラをバックに繰り広げられるこの不思議な感覚が病みつきになりそうだ。
むしろわたしはルイスが、これから娘に起こることを避けようとかそういったことをせずにさも当たり前のようにその運命を受け入れる様子が印象に残っている。最初の方のシーンで、ルイスは”わたしはこれから起きる出来事と、それがどうなるのか知っているけれど、それを当然のようにわたしは受け止める。”と語りかける。
最近これまでの人生で大きかった選択を思い出す。学生の頃の後悔なんて、もっと勉強頑張っておけば良かったとかそれぐらいだが、働き始めて自分の金で自分の人生を回すようになると、自分の決断は後々の人生にだいぶインパクトがあるわけだ。
した選択、諦めたこと、色々考えるがそれでも、もし時間を戻せたとしても自分はまた同じ選択をするだろうと思った。自分の選択があまり良い結果でなかったとしても。そして私たちはルイスのように未来が分かるわけでもないし。
ルイスが後々に辛い思いをすると分かっていても、この決断をする理由や娘に対する感情についてはあまり語られない。だが、娘を愛しており、それがたとえ悲しい結末でも受け入れるという覚悟が出来ているのだ。
鑑賞後、一番違和感を覚えるのはおそらくこの映画がほとんど宇宙人の話ではないところだろうか。
宇宙人と地球の大戦争の話ではなく、この映画は宇宙人との対話についての話である。
-あらすじ-
大学で言語学を教えるルイスはある日、世界各地に謎の飛行物体が降り立ったニュースを見る。各地で混乱が起き、大学の授業も中止になったルイスの元へ軍の人間が協力を依頼に来る。謎の飛行物体は宇宙人のもので、軍の依頼とはアメリカでも有数の言語学者であるルイスに宇宙人の言葉を訳して欲しいということだった。宇宙人と直接接触しないことには翻訳は不可能というルイスからの条件提示に折れた軍は、ルイスと物理学者であるイアンを連れて飛行物体の元へ連れて行く。そこで宇宙人と接触したルイス達は必死に宇宙人の言語理解に努めるが、世界中では宇宙人への恐怖が募り、一斉攻撃が始まろうとしていた…
観た後の直感的な感想としては、文字や文学といったことが好きな人なら絶対にハマるであろう映画だということだ。
そしてあとはクリストファーノーランの映画が好きな人なら絶対ハマるであろう。
というのも、ノーラン映画でよくだと出て来る(私も大好きなテーマ)四次元世界、輪廻転生的な終わりと始まりの区別のない世界、こうした話が満載なのだ。(海外のレビューを観ても、結構ノーランのインセプションやインターステラーと重ねる人は多いようだ)
一回観てもおそらく理解しにくいのだが、ルイスが接触した宇宙人達は円形の文字を使用しており、その文字を習得することで人間は未来がまるで今起きていることのように分かるのだという。
ルイスは劇中で度々娘のビジョンを見る。その命の誕生から終わりまで。宇宙人と接触するまでルイスはそれが娘なのだということは分からない。だが、ところどころで登場する娘との対話シーンは進行中の物語と重なり、まるで同時進行でリンクするかのように絡み合う。
言葉や文学が好きな人にはオススメと言ったのは、この映画では”言葉”そのものが持つ意味や力について語られているからだ。
劇中で、ルイスがアボリジニーとの会話で起きた誤解について話すのだが、そこである船乗りが、今で言うカンガルーのことを指差してあれは何かと尋ねたところ、アボリジニーは”Kangaroo”と答えたので、それを聞いて、その動物をカンガルーだと思っていたら、後々”Kangaroo”はアボリジニー語で”言っていることがわからない”という意味だったという話からして興味深い。
そして、宇宙人たちの目的は3000年後に自分達が人類の力を必要とするので、いま人間に武器、もしくはツールを与えたいということなのだが、その武器、ツールとは彼らの言語であった。
バベルの塔にもあるように、人間はその昔一つの共通の言語を持っていたが、神に近づきすぎた罰として、別々の言語を持つようになった。
宇宙人の存在を恐れた中国による宇宙船一斉攻撃が始まろうとした時、また未来のビジョンを見たルイスは中国の軍指揮官の私用携帯に電話をかける。そして、彼の妻の死に際の言葉を彼に中国語で伝えるのだった。
映画ではルイスがなんと言ったのか翻訳されていないのだが”戦争は何も生まない。生まれるのは未亡人だけ。”と伝えたらしい。
ルイスが何ヶ国語話せる設定なのかは分からないが、ここで中国語で語りかけたルイスは、中国に戦争を止めさせるという力があったともいえる。
ルイスの本からも抜粋であるように、”言語とは文明の始まりであった。そして戦争へと引き込まれた。”
そして、ルイスが後々に国連のパーティで発表した本のタイトルは、”Universal Language 共通の言語”という。宇宙人の言葉が人間の共通言語になるとは…
そして後々この言語を習得した人間は時を超越する力を手に入れることが出来るのだと。
この映画のコアになっているのが、言語学的に人間は言葉それぞれに考え方というのがあり、同じことを表していても例えば英語話者とフランス語話者では考え方が全く異なっている。そして、言語を習得するとは、その言語に根付いた考え方も習得するということなのだ。(言語学的には否定されているらしいが)
ましてや地球人と宇宙人では考え方が異なるのは明らかだ。そして映画でも語られるように、彼らの言葉には順番という考えはない。どこから始まってどこで終わるという流れがないのだ。
ルイスは劇中宇宙人との対話をしながら娘との未来を同時に垣間見ている。
映画はルイスの娘が難病で救われることなく病院で命尽きるシーン、続いて娘の誕生シーンから始まり、こう語る。”私はずっとこれが(娘の誕生)あなたの物語の始まりなんだと思っていた。記憶というのは私が想像しているようには作用しない。私たちはあまりにも時間に囚われている、その順序に。私はその途中のことを覚えているし、これが終わりだった…でも今は始まりと終わりというものがよく分からなくなっている。(彼らの言葉には始まりと終わりがない。)”と話す。
劇中でイアンが”その新しい言葉を学んだら、君は考え方も変わるのか?”という問いに対して、ルイスは考え方が変わったというのが答えだ。
ルイスの娘の名前がハンナ(Hannah)という、綴りにすると前から読んでも後ろから読んでも同じなのも偶然ではないだろう。
ルイスにはもう時の流れであったり、物事の始めと終わりという考えはない。だから映画も物語の終わりから始まる。
(分かりにくいのでちょっと時系列で表してみる。ハンナの年齢とかは適当。
2040年: ルイスが語っている。(映画のナレーションが過去形なのも彼女が物語を振り返る形で話しているからである。)
2010年: ルイス、宇宙人と遭遇し、その言語を学ぶ
2012年: イアンと結婚
2013年: ハンナが生まれる
2020年: イアンがハンナとルイスの元を去る。ハンナに癌が見つかる。
2028年: ハンナ死亡
映画の最後でルイスはイアンから好きだと告白され、結婚することにする。そしてイアンの”子供をつくるかい?”という問いにルイスはこの結末を知っていながら、”もちろん”と子供をつくることに疑いなく賛成するのだ。
この映画を”宇宙レベルでの世界平和がテーマ”の映画と言ってしまえばシンプルだけど、あまりに普通過ぎるといえば普通過ぎるなという気がする。
Johan Johannsonの静かだが不気味サントラをバックに繰り広げられるこの不思議な感覚が病みつきになりそうだ。
むしろわたしはルイスが、これから娘に起こることを避けようとかそういったことをせずにさも当たり前のようにその運命を受け入れる様子が印象に残っている。最初の方のシーンで、ルイスは”わたしはこれから起きる出来事と、それがどうなるのか知っているけれど、それを当然のようにわたしは受け止める。”と語りかける。
最近これまでの人生で大きかった選択を思い出す。学生の頃の後悔なんて、もっと勉強頑張っておけば良かったとかそれぐらいだが、働き始めて自分の金で自分の人生を回すようになると、自分の決断は後々の人生にだいぶインパクトがあるわけだ。
した選択、諦めたこと、色々考えるがそれでも、もし時間を戻せたとしても自分はまた同じ選択をするだろうと思った。自分の選択があまり良い結果でなかったとしても。そして私たちはルイスのように未来が分かるわけでもないし。
ルイスが後々に辛い思いをすると分かっていても、この決断をする理由や娘に対する感情についてはあまり語られない。だが、娘を愛しており、それがたとえ悲しい結末でも受け入れるという覚悟が出来ているのだ。
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